鯛が「今この瞬間」について話す

魚類が自分にとって大切な「今この瞬間」を書き残す

一人になれる場所を探している

時々、無性に一人になりたくなる。
別に人といるのが嫌いなわけじゃない。寧ろ人と会うのは好きだ。気付いたら「今月、休みのほとんどに人と会う予定入ってんじゃん」みたいな時だって、割とけっこうザラにある。
人と全然会えなければ会えないで、マジで気が狂って死にそうになるのは転職前の生活で体験済みだ。たった2,3ヶ月の間だったが、あの時は本当に辛かった。もうあんな生活には二度と戻りたくない。


とはいえ、ずっと誰かと一緒にいるのも多分、あんまり耐えられないタチなのだろう。ふとした時に時々無性に一人になりたくなって、まるで逃げ出すように一人になれる場所を探しに出る。
昨日はまさにそんな、逃げ出すように「一人になれる場所」に足を向かわせた日だった。


私にとっての「一人になれる場所」はいくつかあって、その時のノリというか、気分に合わせてふらふらとそこに足を向かわせる。
それは行きつけのカフェだったり、
近所のでっかい公園のでっかい池のほとりだったり、
幼い頃から行っていた地元の神社だったりする。



どこに行こうかと少し考えた結果、昨日は行きつけのカフェに向かった。


カフェや喫茶店に向かう時、そこが"一人になれる場所かどうか"はとても重要だ。スタバやコメダ珈琲といったチェーン店がしっくりくる日もあれば、個人経営のカフェや喫茶店がしっくりくる日もある。昨日は後者がしっくりくる日だった。


個人経営のカフェや喫茶店は、店主との親密度が"一人になれる場所かどうか"に大きく関係してくる。私はわりと店主と仲良くなることが多くて、一人で向かった時についうっかり店主やそこの常連さんと話に花が咲きすぎてしまい、結局一人になれずに終わる時もたまにある。そういうのを求めてお店に向かった時であれば勿論それが大変に楽しくて嬉しい時間になるのだが、逆に一人になりたい時にこういう流れになってしまうと、楽しくないことはないんだけど、なんだかちょっぴり「あーあ」みたいな気持ちになる。


茶店で一人になりたい時は「ほどほどに気の知れた人のいる、けど適度な距離感で放っといてくれる環境」という、まさにカフェや喫茶店の持ついいとこ取りをしたいのだ。「一人になりたいくせに人間の存在は微かに感じていたい」というところに、自分勝手な己のわがままっぷりを感じる。なんとも面倒くさい客である。


"目当ての場所"に到着し、こんちはあ、といつもの調子でお店に入る。前回一人になりたくてこのお店に来た時には、うっかりカウンターに案内されて相席した常連さんと話が盛り上がってしまい、結局一人になれずじまいだったのだ。今日は小さなテーブル席が空いているのを確認し、「こっちでもいいすか?」と声を掛ける。もちろん、と店主さんが答える。

どうすか最近、仕事の調子は?と、挨拶程度の「話のネタ」を軽く振られ、最近の仕事について少し話をする。これぐらいのほどよいコミュニケーションがちょうどいい。渡されたメニューを眺めて、注文を伝える。


昨日は、いつものマグコーヒーと一緒にミニパフェも注文した。お時間少しいただきますね。と伝えられ、大丈夫ですよと答える。一人でこれを回すのだ。カフェを経営している人はすごいなぁ、と思いながら、窓の外を眺めて待つ。


この店の雰囲気が私は好きだ。ガチャガチャと壁に貼られた、少し目に痛いぐらいの配色の、USやUKのバンドのポスターと洋画のフライヤー。音楽にまつわる雑誌や本。そして店内に流れる音楽。知っている曲もあるが、知らない曲もたくさんある。この空間は、店主さんの"好き"がたくさん詰まっている。そんなところからも"人の存在"を感じられる。


しばらくそうしていると、どうぞ、とマグコーヒーとミニパフェが届けられた。昨日は確か、グァテマラを頼んだかな。ずず、と一口コーヒーを啜る。うまい。


私は自分でコーヒーを淹れる。自分で淹れるコーヒーのことも好きだし、それは自分にとって必要なものだ。だが、こういう時は「他人が淹れてくれたコーヒー」の方がずっと自分にしっくりくる。


手のひらの中にある「他人が淹れてくれたコーヒー」の温もりからしか得られないものがある。今ここに座る私は一人なのに、適度な「一人じゃない」を感じられることに、少しだけ安心する。


次は、可愛らしく器に盛られたミニパフェを口に含んだ。いちごの甘酸っぱさとクリームの甘さがちょうどいい。そしてサイズ感も値段もちょうどいい。ちょうどいいづくしのこのメニューが私は好きだ。


うん。こういう感じ。


恐らく常連さんカウントをされているのだろう、普段なら「空いてますけど、カウンターどうすか?」と声をかけてくる店主さんが、昨日は特に何も言わなかった。なんとなく、「今日はそういう日」なんだろうというのを察してくれたのかもしれない。でも、その距離感がありがたかった。お互い特に何も言わなくても、こうしてコミュニケーションが取れているような気がちょっとだけしてくる。それが私の勘違いであったとしても。


店内の音楽に耳を傾け、おや、と思った曲を時折Shazamで検索する。そうしてこのお店で出会った曲がいくつもある。そういうのもなんだか好きだ。


そんな調子のまま、自分の気の済むまで、大体一時間ぐらい特に何もせずぼーっとしていた。


ほどほどに一人になるのにも満足できたので、よっこいしょと会計に向かう。……あ、そういえば豆を切らしてたんだった、と思い出し、ついでに豆も購入した。マンデリンを100g。好きなカフェには金を落としたい。これからも自分に必要な場所がここにあってほしいもんね。


そうして、「ごちそうさまでした、また来ますね」とお店を後にした。


一人になりたい時に一人になれるけど、でも決して一人じゃない場所。
昨日行ったカフェみたいな、そんな場所が私にはいくつもある。それってなんだか幸せなことなんだろうな。


また池や神社に向かった時には、そのことについても話をしよう。
ひとまず今回はこれくらいで。


(ブログに写真を添付する技を今やっと覚えました。いいね、これ。)