鯛が「今この瞬間」について話す

魚類が自分にとって大切な「今この瞬間」を書き残す

「言葉」と「言葉の外側」とアルコールと2024年ライブ始めの話



人生こう、少なくとも決して長くもないが短くもない期間を生きてきたが、そんなふうに生きていると「なんだか今日という一日まるごと全部が、まるでよくできたシナリオみたいだな」みたいに感じる日に、本当にごく稀に出くわすことがある。
今日話すのはそんな一日の話だ。






ZAZEN BOYS
YEBISU YA PRO 9th Anniversary MATSURI SESSION

2024.1.20 at YEBISU YA PRO







(ライブレポみたいな書き出しですが、ほぼほぼライブレポではなく超個人的な日記です。すんまへん。)





2024年1月20日。元々この日は、このライブに合わせて取っただけの休日だった。
しかしせっかくの(それも土曜日の)休みなのに、ライブ以外に何もしないのも勿体無い。
あ、そうだ、と思い、とある友人に声を掛けた。それがこの日を最高にした全てのきっかけだったと、今なら思う。





この日声を掛けた友人とは、一体もう何年の付き合いになるだろうか。
初めて出会ったのはSNSで、最初は地元が近いなんてことは全く知らずに繋がった。相手の投稿を見ているうちに「もしかして、住んでる場所がめちゃ近いんでは!?」となってから、彼女との交流が始まった。



出会ったきっかけこそSNSだったが、趣味も、お酒のペースも許容量も、聴いている音楽も、会話のテンポも、びっくりするほど合う相手なんて日常の中でそう見つかるもんでもない。年齢の差なんてなにひとつ関係なかった。
もう何度も一緒に酒を飲み、ライブに行き、お互いのいろんなことを話してきた。こないだなんてNetflixで配信されている星野源さんと若林正恭さんの「LIGHT HOUSE」に触発されて、「LIGHT HOUSEごっこ」なんて名前を付けて酒を飲みながら話していたら、気づけば始発の電車が動き始める時間になっていたりなどもした。




そんな友人はこの日の予定を決めた時に7:30集合を提案しても「いいね!」と乗り気で返してくれるので本当にすごい。
私が7:30集合を提案したのは、二人で「朝!!!!」みたいな時間から喫茶店のモーニングに行きたかったから。ただそれだけだった。




この日、彼女と「朝!!!!」な時間から集合してモーニングをキメたあとは、去年の元旦、二人で初詣に行った神社に今年も一緒に(20日遅れの)初詣に行った。
さらに去年、初詣の後に行った駅前の串カツ屋で、今年も同じように解散するギリギリまで酒を飲んだ。



その時間が、私は本当に幸せだった。
こうやって一年前に過ごした元旦のことを、お互い「あの日が本当に最高で、この一年の間に何度も思い出していた」と話し、「今年も、二人で去年と同じことがしたかった」とお互いが考えていた。そんなことってあるんだなあと、なんだかしみじみする。




串カツ屋での会話のクソデカビッグテーマは、「言葉の外側」というものだった。
この「言葉の外側」の話をどうしても彼女に聞いてもらいたくて、私が話題にしたのがきっかけだった。






私にとって2023年は、ここでブログを始め、さらに別の場所で短歌を始めた一年だった。



今まで私はずっと「かたちのない自分の感情」に「言葉」という"かたち"を与えるのが怖かった。



「言葉」は私にとってなんとなく、「目に見えないものを可視化するための、汎用性の高い容れ物」のような感覚があった。その目に見えない感情を、言葉という「汎用性の高い容れ物」に詰めてわざと可視化してしまうことで、「その容れ物に入り切らなかった""何か""がぽろぽろとこぼれ落ちてしまう」ような気がして、私はそれが本当に嫌で、怖かった。



でも何故か、2023年はふと「怖いけど言葉にしてみよう」と思った。



2023年に自分の感情を言葉にして気づいたことは、「別に言葉にしたからって、""何か""が零れ落ちてしまうことはなかった。寧ろ感情を言葉にすることで、私の大切にしたかった『言葉の外側』がより明確になった」ということだった。


そして、その「言葉の外側」を大事にしたいからこそ、きっと私は音楽を聴くんだろうなとも、そう思った。




とかいう、こーんな私のわけのわからん話を、友人は「うまく言えんけどなんかわかる!」と聴いてくれた。そして、そこから更にいろんな話に話題が飛び火したり、膨らんでいった。
なんなら数時間ぐらいカップ酒のおでんの出汁割りを二人で啜りながら、延々とこんな話をしていた。





とまあ、こうやっていちいち言葉にしておきながら、「言葉ってやっぱり万能じゃないな」という感覚が、ずっと自分の中にある。




例えて言えば、私の思い浮かべる「赤」とあなたの思い浮かべる「赤」は、同じ「赤」という呼び方をしていても厳密には全然違う、みたいなやつだ。
言葉をどれだけ用いたって、100%他者と同じ理解なんてできるわけがないという、「言葉の限界」みたいなもんは、多分ある。




でもなんというか、「だとしても、でもそれはそれのままでいいか」と思えるようになったのだ。
言葉はもともと万能じゃないからこそ、それで全てを伝えきれるわけではないと割り切れたからこそ、私はこうして言葉を使うことに怖がらなくなったし、私自身の距離感とやり方で、言葉に対して「よろしくな」と言えるようになった。




まあ、言葉の方は私のことが苦手かもしれないけれど。




こんな話を、マジでずっと何時間もやっていた。そしてその時間が本当に、自分にとっては本当に大切な時間だった。






結局私は串カツ屋で生中を1杯と、カップ酒を出汁割りにしながら3杯飲んだ。そのふわふわの頭のまま友人と名残惜しくも解散し、ライブハウスに足を向かわせた。もうこの時点でだいぶかなり出来上がっていた。





そうしてやっとZAZEN BOYSのライブの話をするかと思いきや、正直この時の飲酒量で言葉にできる中身のある内容は、ぶっちゃけ大してない(ないんかい)。





ただ、1曲目のHIMITSU GIRL'S TOP SECRETのイントロが流れた瞬間、酒浸りの脳味噌にとんでもない衝撃が走ったことは覚えている。まるでベロベロに酔っていた頭をテレキャスターで殴られたような。ZAZEN BOYSの音はアルコールよりもよっぽど酔える、アルコールに勝つ音をしていた。




正直、セットリストもろくに覚えてはいないけれど、ZAZEN BOYSが12年前にリリースしたアルバム「すとーりーず」の収録曲が、数多く演奏されたことは覚えている。




その曲たちを聴きながら、私は12年前の時のことを思い出していた。
私はあの時、まだ高校生だった。本当に全部が最悪で、周りはみんな敵だらけみたいな顔をして、でもそうやって最悪な世界を作り出しているのは自分自身でもあることに、あの時まだガキだった私は多分気付いていなかった。でもそんな中でどうにか自分を守るように耳にイヤホンを突っ込んでは、私は「すとーりーず」を聴きながら、学校に向かっていた。



ああ、最悪だったなああの時は。
でもこの音楽があったから、私はあの時ああやって生きられたんだよな。


12年。


これまで12年間。この音楽を聴きながら、私はこの街で生きてきたんだよな。




そう思ったら、本当にぼろぼろ泣いていた。




「はあとぶれいく」2番のイントロで、向井氏はおもむろに着ていた開襟シャツの裾にマイクを突っ込んだ。
そうしてちょうど胸のあたりから、開襟シャツのボタンとボタンの間からマイクを突き出し、そのまま(変なポーズで)歌い始めた。




まるでマイクが、向井氏の心臓を突き破っているようだった。




脳みそは酒浸りだったのに、異常にあの光景が脳裏に焼き付いている。
なんだか歌が、マイクが、音楽が。それら全てが向井氏の心臓であり、たましいなんだな。そんなことを思いながら「はあとぶれいく」を聴いていた。



そこからはもう、あの2時間半の中で何度クライマックスが訪れたかは分からないほどだった。



もちろん、来たる1/24にリリースされる(今となってはされた、だが)12年振りのニューアルバム「らんど」からも、複数の曲が演奏された。
先行配信された「永遠少女」以外は全てが初見の状態で聴ける公演は、今ツアーではこの岡山公演だけだった。そのあまりに贅沢な時間を噛み締めるように自身に刻んだ。




「岡山cityの皆さんと過ごせるこの時間、何たる幸福」


岡山県岡山cityの皆さん、また来ます」


「皆さん、またお会いしましょう」



向井氏は、(語弊を恐れずに言えば)メチャクチャ変な人だ。まあファンならそんなことはとっくの昔に知っていることだとは思うが、そんな向井氏が真っ直ぐに表現したその言葉が、なんだかとてもこそばゆく、嬉しかった。



この日のライブの、言葉ではない部分で伝わる「客席とステージの盛り上がり」が、会場をふわっとまるめて包み込むようなあの感覚が、なんだか本当に幸せだった。
私が今まで行ったZAZEN BOYSのライブの中で、この日のライブが一番そういう「あたたかさ」を感じられたような気がしたのは、アルコールを入れた私の脳が勝手に見た錯覚だったのだろうか。




まあしかし、そうであったとしても。






この日の本編最後に演奏された「永遠少女」が、本当に良すぎて震えていた。


生きていると、諦めたいことや憤ること、やるせないことなんてたくさんある。でもそれでも、まるで「どんだけどん底でも、絶対に全部諦めるな」と言われているようだった。



「探せ 探せ探せ探せ」



向井秀徳のその声が、今もずっと残っている。




そして、アンコールに演奏された七尾旅人氏の「サーカスナイト」のカバーも極上だった。




本当に、2024年1月20日に限って言えば、この日地球上で一番カッコよかった人類は、岡山県岡山cityで音楽を鳴らしたZAZEN BOYSだったと、胸を張って言える。




ライブ前は大好きな友達と最高の時間を過ごし、そして夜にはこんなに素晴らしい音の中で過ごすことができたのならば。なんだかけっこう全然、2024年もわくわくしながら生きられるような気がした。




言葉と、言葉の外側と、そして何より音楽と。
自分にとっての大切なものを取りこぼさないように、2024年も生きていけたらいいなと心から思った。


永遠少女

永遠少女