鯛が「今この瞬間」について話す

魚類が自分にとって大切な「今この瞬間」を書き残す

映画「カラオケ行こ!」を観た





今日はタイトルそのまま、映画「カラオケ行こ!」を観に行った。





もともと私は綾野剛のあのヘビのような、爬虫類みたいな顔がけっこう好きだった。
さらに昨年映画館で観た「最後まで行く」のイカれた(最上級の賛辞)演技と、あの時のセンターパートの髪型に性癖が気付かぬ間にどうもメチャクチャにされていたらしい。





「カラオケ行こ!」の予告でちらりと観た綾野剛の良すぎなビジュアルとヤバめな動きに「こ、これは私がダメになるやつだ〜!!!!!!」と、良すぎて一周回って顔をしかめてしまった。これ以上綾野剛に落ちたくないんだが!?!?!?




しかし結局友人と一緒に観に行くことになった。原作のファンであり、既に一度映画を観ていた友人は喜んで私を映画館に引っ張り連れて行ってくれた(友人よありがとう)。






結果、ハチャメチャに泣いた。びっくりした。泣くとか全然思ってなかった。
本当に、本当に全てがメチャクチャよかった。





ライブの感想は何度も書いてきたけれど、映画の感想をブログとしてまとめるのは多分今回が初めてだ。どこからまとめればいいかな、と悩みながら、少しずつ感想を書いていこうと思う。





まず、本当に本編開始から中盤ぐらいまで、ずっと一人でクスクス笑いを堪えきれないまま映画を観ていた。
なんというか、あの画面の端から端まで全てがツッコミ不在のまま、物語があれよあれよとシームレスに展開していくあの感じが本当にたまらなかった。
観客を笑かそうとしてるのか別にそのつもりなんて全くないのか、その判断すら難しいような絶妙なツボを突かれて、ずっとくつくつと一人で笑っていた。



なんというか、「おだやかなボボボーボ・ボーボボ」みたいな感じ。あのゆるやかすぎる不条理は、私のツボに完全に入った。





だってもう、コンクール終わりの合唱部の部長にいきなりヤ……じゃない、ブラック企業に勤めている大人が「カラオケ行こ」って声をかける時点で全てが意味不明だし、不条理も極まりないじゃないか。



でもその不条理に誰一人としてツッコまない。ツッコミ不在の不条理コメディ。私はスポンジボブ・スクエアパンツとボボボーボ・ボーボボでギャグを学んだ人間だ。そんなの好きに決まってるだろ。




でも別に、ツッコミ不在のゆるふわ不条理コメディだから映画「カラオケ行こ!」のことを好きになったわけではないのだ。






作中の、とても好きなシーンがある。
映画部の栗山くんが「愛は与えるものらしいで」と話していたあの場面。
そしてその晩、岡くんの家庭の食卓で、お母さんが鮭の塩焼きの皮をぺりりと剥がし、お父さんにそっとあげるあの瞬間。





「ああ、この作品はそういう""愛""を描くんだな」


そう思った。





愛は「君の瞳に乾杯」するものではない。



たとえば鮭の皮。

カラオケ屋で奢ってもらうチャーハン。

母親が買ってきた鶴柄の傘。

聡実くんが狂児に渡した「紅」の関西弁和訳や、狂児のキーに合う歌を書き記したメモ。

ミナミ銀座を見下ろしながら、狂児が聡実くんに渡した缶コーヒー。

両親が聡実くんに渡した二つのお守り。

更にそこから、聡実くんが狂児に渡した「げんきおまもり」。

そして、聡実くんが狂児に向けて歌う「紅」




愛ってたぶん、そういうものだ。
それぐらい些細で、何気なくて、時にくだらなくて、
でもたぶん、そうだからこそかけがえなくて、大事なものだ。






それをこの作品から(勝手に)受け取った瞬間、「ああこの作品のことが私はとても好きだな」そう思った。




そして多分、描かれたのはそうした物質的な、目に見えたりするような「誰かに与えるもの」だけではない。


なんだか笑ってしまうような、少しおかしな二人の交流の中で。聡実くんと狂児はきっと「目には見えない何か」も互いに与えて、分かち合ってきたんだろう。




そういうのもきっと、「愛」と呼ぶんじゃないか。








とまあ、少し真面目な顔をして話をしてしまったけれど。





それと話は急に変わるけれど、私はけっこう、本編の間本当にずっと狂児が不審者(めっちゃ褒めてる)で、自分のやりたいことをずっとやっていることにこっそり救われていた。



狂児は側から見たらぶっちゃけ「やべーやつ」なんだけど(そもそも中学生に声を掛けてる時点で相当「やべーやつ」なんだけど)、その他人から見て「やべーやつ」であることを全く気にも留めず、自分のやりたいことをやりたいように、思ってることを思ってるようにやるその姿が私は本当に好きだった。




それもきっと多分、私自身が、現実でそういう「他人に何言われようがどう思われようが、自分のやりたいと思ったことを本気でやる」そうやって自分の筋を通してる大人たちの姿に救われてるからだと思うんだよな。例えばバンドマンとか、バンドマンとか、バンドマンとか(バンドマンばっかりか)






作中でも「大人って不条理だ」みたいな台詞があったけれど、多分その通りで、「大人」って、意外と思ってるほどイメージ通りのような大人じゃない気がするんだよな。




自分なりの筋を通してる「やべーやつ」はなんかこう、一周回ってメチャクチャかっこいい。
例えば生活の中で時に何かを諦めながら、物分かりのいい大人を「演じている」ような大人よりも、私にはやりたいことをやりたいようにやっている大人の方が、なんだかよっぽど「大人」に見える。





カラオケ最下位をどうしても避けたくて、組長の刺青をどうしても受けたくないから、合唱部の部長に歌を教えてもらいたくて「カラオケ行こ」と声を掛ける狂児。



普通にメチャクチャぶっ飛んでるんだけど、狂児なりに行動の筋は通っている。と私は思う。
少なくとも、私はそういう狂児の姿が好きだった。自分のやりたいと思ったことをやりたいようにやるって、度胸も覚悟も要るし、案外難しいもんな。





そして、あのラストシーンも本当に愛おしかった。
「綺麗なものばかりでは、あの街ごと全滅」かもしれないが。
でもあれはとても綺麗な「愛」だったと、私は思う。





原作の「カラオケ行こ!」には「ファミレス行こ。」という続編があることもぼんやり聞いていたが、なるほど確かに、これは「ファミレス行こ。」も是非実写化してくれ!と期待せずにはいられない。



彼らは続編で、一体どのように生きているのだろうな。とても気になる。



私はいずれ「ファミレス行こ。」にも触れることになるだろう。でもその前に、映画終わりにいたく映画を気に入った私に、友人が奢ってくれた(ここは与えてくれた、と言うべきかな)原作の「カラオケ行こ!」を楽しむことにしようと思う。