「言葉」と「言葉の外側」とアルコールと2024年ライブ始めの話
人生こう、少なくとも決して長くもないが短くもない期間を生きてきたが、そんなふうに生きていると「なんだか今日という一日まるごと全部が、まるでよくできたシナリオみたいだな」みたいに感じる日に、本当にごく稀に出くわすことがある。
今日話すのはそんな一日の話だ。
ZAZEN BOYS
YEBISU YA PRO 9th Anniversary MATSURI SESSION
2024.1.20 at YEBISU YA PRO
(ライブレポみたいな書き出しですが、ほぼほぼライブレポではなく超個人的な日記です。すんまへん。)
2024年1月20日。元々この日は、このライブに合わせて取っただけの休日だった。
しかしせっかくの(それも土曜日の)休みなのに、ライブ以外に何もしないのも勿体無い。
あ、そうだ、と思い、とある友人に声を掛けた。それがこの日を最高にした全てのきっかけだったと、今なら思う。
この日声を掛けた友人とは、一体もう何年の付き合いになるだろうか。
初めて出会ったのはSNSで、最初は地元が近いなんてことは全く知らずに繋がった。相手の投稿を見ているうちに「もしかして、住んでる場所がめちゃ近いんでは!?」となってから、彼女との交流が始まった。
出会ったきっかけこそSNSだったが、趣味も、お酒のペースも許容量も、聴いている音楽も、会話のテンポも、びっくりするほど合う相手なんて日常の中でそう見つかるもんでもない。年齢の差なんてなにひとつ関係なかった。
もう何度も一緒に酒を飲み、ライブに行き、お互いのいろんなことを話してきた。こないだなんてNetflixで配信されている星野源さんと若林正恭さんの「LIGHT HOUSE」に触発されて、「LIGHT HOUSEごっこ」なんて名前を付けて酒を飲みながら話していたら、気づけば始発の電車が動き始める時間になっていたりなどもした。
そんな友人はこの日の予定を決めた時に7:30集合を提案しても「いいね!」と乗り気で返してくれるので本当にすごい。
私が7:30集合を提案したのは、二人で「朝!!!!」みたいな時間から喫茶店のモーニングに行きたかったから。ただそれだけだった。
この日、彼女と「朝!!!!」な時間から集合してモーニングをキメたあとは、去年の元旦、二人で初詣に行った神社に今年も一緒に(20日遅れの)初詣に行った。
さらに去年、初詣の後に行った駅前の串カツ屋で、今年も同じように解散するギリギリまで酒を飲んだ。
その時間が、私は本当に幸せだった。
こうやって一年前に過ごした元旦のことを、お互い「あの日が本当に最高で、この一年の間に何度も思い出していた」と話し、「今年も、二人で去年と同じことがしたかった」とお互いが考えていた。そんなことってあるんだなあと、なんだかしみじみする。
串カツ屋での会話のクソデカビッグテーマは、「言葉の外側」というものだった。
この「言葉の外側」の話をどうしても彼女に聞いてもらいたくて、私が話題にしたのがきっかけだった。
私にとって2023年は、ここでブログを始め、さらに別の場所で短歌を始めた一年だった。
今まで私はずっと「かたちのない自分の感情」に「言葉」という"かたち"を与えるのが怖かった。
「言葉」は私にとってなんとなく、「目に見えないものを可視化するための、汎用性の高い容れ物」のような感覚があった。その目に見えない感情を、言葉という「汎用性の高い容れ物」に詰めてわざと可視化してしまうことで、「その容れ物に入り切らなかった""何か""がぽろぽろとこぼれ落ちてしまう」ような気がして、私はそれが本当に嫌で、怖かった。
でも何故か、2023年はふと「怖いけど言葉にしてみよう」と思った。
2023年に自分の感情を言葉にして気づいたことは、「別に言葉にしたからって、""何か""が零れ落ちてしまうことはなかった。寧ろ感情を言葉にすることで、私の大切にしたかった『言葉の外側』がより明確になった」ということだった。
そして、その「言葉の外側」を大事にしたいからこそ、きっと私は音楽を聴くんだろうなとも、そう思った。
とかいう、こーんな私のわけのわからん話を、友人は「うまく言えんけどなんかわかる!」と聴いてくれた。そして、そこから更にいろんな話に話題が飛び火したり、膨らんでいった。
なんなら数時間ぐらいカップ酒のおでんの出汁割りを二人で啜りながら、延々とこんな話をしていた。
とまあ、こうやっていちいち言葉にしておきながら、「言葉ってやっぱり万能じゃないな」という感覚が、ずっと自分の中にある。
例えて言えば、私の思い浮かべる「赤」とあなたの思い浮かべる「赤」は、同じ「赤」という呼び方をしていても厳密には全然違う、みたいなやつだ。
言葉をどれだけ用いたって、100%他者と同じ理解なんてできるわけがないという、「言葉の限界」みたいなもんは、多分ある。
でもなんというか、「だとしても、でもそれはそれのままでいいか」と思えるようになったのだ。
言葉はもともと万能じゃないからこそ、それで全てを伝えきれるわけではないと割り切れたからこそ、私はこうして言葉を使うことに怖がらなくなったし、私自身の距離感とやり方で、言葉に対して「よろしくな」と言えるようになった。
まあ、言葉の方は私のことが苦手かもしれないけれど。
こんな話を、マジでずっと何時間もやっていた。そしてその時間が本当に、自分にとっては本当に大切な時間だった。
結局私は串カツ屋で生中を1杯と、カップ酒を出汁割りにしながら3杯飲んだ。そのふわふわの頭のまま友人と名残惜しくも解散し、ライブハウスに足を向かわせた。もうこの時点でだいぶかなり出来上がっていた。
そうしてやっとZAZEN BOYSのライブの話をするかと思いきや、正直この時の飲酒量で言葉にできる中身のある内容は、ぶっちゃけ大してない(ないんかい)。
ただ、1曲目のHIMITSU GIRL'S TOP SECRETのイントロが流れた瞬間、酒浸りの脳味噌にとんでもない衝撃が走ったことは覚えている。まるでベロベロに酔っていた頭をテレキャスターで殴られたような。ZAZEN BOYSの音はアルコールよりもよっぽど酔える、アルコールに勝つ音をしていた。
正直、セットリストもろくに覚えてはいないけれど、ZAZEN BOYSが12年前にリリースしたアルバム「すとーりーず」の収録曲が、数多く演奏されたことは覚えている。
その曲たちを聴きながら、私は12年前の時のことを思い出していた。
私はあの時、まだ高校生だった。本当に全部が最悪で、周りはみんな敵だらけみたいな顔をして、でもそうやって最悪な世界を作り出しているのは自分自身でもあることに、あの時まだガキだった私は多分気付いていなかった。でもそんな中でどうにか自分を守るように耳にイヤホンを突っ込んでは、私は「すとーりーず」を聴きながら、学校に向かっていた。
ああ、最悪だったなああの時は。
でもこの音楽があったから、私はあの時ああやって生きられたんだよな。
12年。
これまで12年間。この音楽を聴きながら、私はこの街で生きてきたんだよな。
そう思ったら、本当にぼろぼろ泣いていた。
「はあとぶれいく」2番のイントロで、向井氏はおもむろに着ていた開襟シャツの裾にマイクを突っ込んだ。
そうしてちょうど胸のあたりから、開襟シャツのボタンとボタンの間からマイクを突き出し、そのまま(変なポーズで)歌い始めた。
まるでマイクが、向井氏の心臓を突き破っているようだった。
脳みそは酒浸りだったのに、異常にあの光景が脳裏に焼き付いている。
なんだか歌が、マイクが、音楽が。それら全てが向井氏の心臓であり、たましいなんだな。そんなことを思いながら「はあとぶれいく」を聴いていた。
そこからはもう、あの2時間半の中で何度クライマックスが訪れたかは分からないほどだった。
もちろん、来たる1/24にリリースされる(今となってはされた、だが)12年振りのニューアルバム「らんど」からも、複数の曲が演奏された。
先行配信された「永遠少女」以外は全てが初見の状態で聴ける公演は、今ツアーではこの岡山公演だけだった。そのあまりに贅沢な時間を噛み締めるように自身に刻んだ。
「岡山cityの皆さんと過ごせるこの時間、何たる幸福」
「岡山県岡山cityの皆さん、また来ます」
「皆さん、またお会いしましょう」
向井氏は、(語弊を恐れずに言えば)メチャクチャ変な人だ。まあファンならそんなことはとっくの昔に知っていることだとは思うが、そんな向井氏が真っ直ぐに表現したその言葉が、なんだかとてもこそばゆく、嬉しかった。
この日のライブの、言葉ではない部分で伝わる「客席とステージの盛り上がり」が、会場をふわっとまるめて包み込むようなあの感覚が、なんだか本当に幸せだった。
私が今まで行ったZAZEN BOYSのライブの中で、この日のライブが一番そういう「あたたかさ」を感じられたような気がしたのは、アルコールを入れた私の脳が勝手に見た錯覚だったのだろうか。
まあしかし、そうであったとしても。
この日の本編最後に演奏された「永遠少女」が、本当に良すぎて震えていた。
生きていると、諦めたいことや憤ること、やるせないことなんてたくさんある。でもそれでも、まるで「どんだけどん底でも、絶対に全部諦めるな」と言われているようだった。
「探せ 探せ探せ探せ」
向井秀徳のその声が、今もずっと残っている。
そして、アンコールに演奏された七尾旅人氏の「サーカスナイト」のカバーも極上だった。
本当に、2024年1月20日に限って言えば、この日地球上で一番カッコよかった人類は、岡山県岡山cityで音楽を鳴らしたZAZEN BOYSだったと、胸を張って言える。
ライブ前は大好きな友達と最高の時間を過ごし、そして夜にはこんなに素晴らしい音の中で過ごすことができたのならば。なんだかけっこう全然、2024年もわくわくしながら生きられるような気がした。
言葉と、言葉の外側と、そして何より音楽と。
自分にとっての大切なものを取りこぼさないように、2024年も生きていけたらいいなと心から思った。
映画「カラオケ行こ!」を観た
今日はタイトルそのまま、映画「カラオケ行こ!」を観に行った。
もともと私は綾野剛のあのヘビのような、爬虫類みたいな顔がけっこう好きだった。
さらに昨年映画館で観た「最後まで行く」のイカれた(最上級の賛辞)演技と、あの時のセンターパートの髪型に性癖が気付かぬ間にどうもメチャクチャにされていたらしい。
「カラオケ行こ!」の予告でちらりと観た綾野剛の良すぎなビジュアルとヤバめな動きに「こ、これは私がダメになるやつだ〜!!!!!!」と、良すぎて一周回って顔をしかめてしまった。これ以上綾野剛に落ちたくないんだが!?!?!?
しかし結局友人と一緒に観に行くことになった。原作のファンであり、既に一度映画を観ていた友人は喜んで私を映画館に引っ張り連れて行ってくれた(友人よありがとう)。
結果、ハチャメチャに泣いた。びっくりした。泣くとか全然思ってなかった。
本当に、本当に全てがメチャクチャよかった。
ライブの感想は何度も書いてきたけれど、映画の感想をブログとしてまとめるのは多分今回が初めてだ。どこからまとめればいいかな、と悩みながら、少しずつ感想を書いていこうと思う。
まず、本当に本編開始から中盤ぐらいまで、ずっと一人でクスクス笑いを堪えきれないまま映画を観ていた。
なんというか、あの画面の端から端まで全てがツッコミ不在のまま、物語があれよあれよとシームレスに展開していくあの感じが本当にたまらなかった。
観客を笑かそうとしてるのか別にそのつもりなんて全くないのか、その判断すら難しいような絶妙なツボを突かれて、ずっとくつくつと一人で笑っていた。
なんというか、「おだやかなボボボーボ・ボーボボ」みたいな感じ。あのゆるやかすぎる不条理は、私のツボに完全に入った。
だってもう、コンクール終わりの合唱部の部長にいきなりヤ……じゃない、ブラック企業に勤めている大人が「カラオケ行こ」って声をかける時点で全てが意味不明だし、不条理も極まりないじゃないか。
でもその不条理に誰一人としてツッコまない。ツッコミ不在の不条理コメディ。私はスポンジボブ・スクエアパンツとボボボーボ・ボーボボでギャグを学んだ人間だ。そんなの好きに決まってるだろ。
でも別に、ツッコミ不在のゆるふわ不条理コメディだから映画「カラオケ行こ!」のことを好きになったわけではないのだ。
作中の、とても好きなシーンがある。
映画部の栗山くんが「愛は与えるものらしいで」と話していたあの場面。
そしてその晩、岡くんの家庭の食卓で、お母さんが鮭の塩焼きの皮をぺりりと剥がし、お父さんにそっとあげるあの瞬間。
「ああ、この作品はそういう""愛""を描くんだな」
そう思った。
愛は「君の瞳に乾杯」するものではない。
たとえば鮭の皮。
カラオケ屋で奢ってもらうチャーハン。
母親が買ってきた鶴柄の傘。
聡実くんが狂児に渡した「紅」の関西弁和訳や、狂児のキーに合う歌を書き記したメモ。
ミナミ銀座を見下ろしながら、狂児が聡実くんに渡した缶コーヒー。
両親が聡実くんに渡した二つのお守り。
更にそこから、聡実くんが狂児に渡した「げんきおまもり」。
そして、聡実くんが狂児に向けて歌う「紅」。
愛ってたぶん、そういうものだ。
それぐらい些細で、何気なくて、時にくだらなくて、
でもたぶん、そうだからこそかけがえなくて、大事なものだ。
それをこの作品から(勝手に)受け取った瞬間、「ああこの作品のことが私はとても好きだな」そう思った。
そして多分、描かれたのはそうした物質的な、目に見えたりするような「誰かに与えるもの」だけではない。
なんだか笑ってしまうような、少しおかしな二人の交流の中で。聡実くんと狂児はきっと「目には見えない何か」も互いに与えて、分かち合ってきたんだろう。
そういうのもきっと、「愛」と呼ぶんじゃないか。
とまあ、少し真面目な顔をして話をしてしまったけれど。
それと話は急に変わるけれど、私はけっこう、本編の間本当にずっと狂児が不審者(めっちゃ褒めてる)で、自分のやりたいことをずっとやっていることにこっそり救われていた。
狂児は側から見たらぶっちゃけ「やべーやつ」なんだけど(そもそも中学生に声を掛けてる時点で相当「やべーやつ」なんだけど)、その他人から見て「やべーやつ」であることを全く気にも留めず、自分のやりたいことをやりたいように、思ってることを思ってるようにやるその姿が私は本当に好きだった。
それもきっと多分、私自身が、現実でそういう「他人に何言われようがどう思われようが、自分のやりたいと思ったことを本気でやる」そうやって自分の筋を通してる大人たちの姿に救われてるからだと思うんだよな。例えばバンドマンとか、バンドマンとか、バンドマンとか(バンドマンばっかりか)
作中でも「大人って不条理だ」みたいな台詞があったけれど、多分その通りで、「大人」って、意外と思ってるほどイメージ通りのような大人じゃない気がするんだよな。
自分なりの筋を通してる「やべーやつ」はなんかこう、一周回ってメチャクチャかっこいい。
例えば生活の中で時に何かを諦めながら、物分かりのいい大人を「演じている」ような大人よりも、私にはやりたいことをやりたいようにやっている大人の方が、なんだかよっぽど「大人」に見える。
カラオケ最下位をどうしても避けたくて、組長の刺青をどうしても受けたくないから、合唱部の部長に歌を教えてもらいたくて「カラオケ行こ」と声を掛ける狂児。
普通にメチャクチャぶっ飛んでるんだけど、狂児なりに行動の筋は通っている。と私は思う。
少なくとも、私はそういう狂児の姿が好きだった。自分のやりたいと思ったことをやりたいようにやるって、度胸も覚悟も要るし、案外難しいもんな。
そして、あのラストシーンも本当に愛おしかった。
「綺麗なものばかりでは、あの街ごと全滅」かもしれないが。
でもあれはとても綺麗な「愛」だったと、私は思う。
原作の「カラオケ行こ!」には「ファミレス行こ。」という続編があることもぼんやり聞いていたが、なるほど確かに、これは「ファミレス行こ。」も是非実写化してくれ!と期待せずにはいられない。
彼らは続編で、一体どのように生きているのだろうな。とても気になる。
私はいずれ「ファミレス行こ。」にも触れることになるだろう。でもその前に、映画終わりにいたく映画を気に入った私に、友人が奢ってくれた(ここは与えてくれた、と言うべきかな)原作の「カラオケ行こ!」を楽しむことにしようと思う。
12/29、少し早い年明けと鳴り響いた「願い」の話
こんばんは、そして遅くなりましたがあけましておめでとうございます。
年末年始が一年のうちの最大のピークみたいな仕事をしているせいで、本当は2023年の間に済ませておきたかった一年の振り返りも年末のライブについての記事を書くことも何もできないまま、年を越してしまいました。でもまあ仕方ない。
今日は代わりに12/29に行ったRADIO CRAZY3日目のことを書いていこうと思います。今年もどうぞよろしくお願いします。
この日のフェスで観た光景、その全ては、本当に私の2023年の締めくくりとしてあまりに相応しい景色だった。そして、なんなら数日早い「私にとっての年明け」とも呼べるような一日だったと思う。
本当に、終わりよければ全てよしじゃないけれど、もちろん悲しいことは(個人としても、世界全体としても)たくさんあったけれど、それでもこういう一日を年の瀬に過ごすことができたというのは、私にとってのあまりに大きな幸福だった。
これから書くのは、そういう一日の話だ。
RADIO CRAZY(3日目)
2023.12.29 at インテックス大阪
こういうタイプの音楽フェスは、私にとっては恐らく学生ぶりの参戦だった。まああの頃からずっとフェスぼっち参戦のプロをしてきたし(?)、その頃の経験があるからフェスのぼっち参戦に対してはそう心配があるわけでもなかった。
のはずが、いきなり始発の時間を勘違いして乗りたい電車を乗り逃すわ、最寄駅に置いた自転車の鍵を抜き忘れるわ(これは家族に連絡して抜いてもらった。迷惑をかけるな)などしてしまい、これが2023年最後の私かよ……とけっこうガックリしたのだけど。でも遅れつつもなんだかんだ早めに会場に到着できたおかげで、その後の仕事がとてもスムーズに進んだのである意味結果オーライだった。入場も物販もロッカー確保も、想像より遥かにスムーズに終えることができた。
会場分散型のフェスではタイムテーブルとの睨めっこになる。私がこの日目当てにしていたのはTHE BAWDIES、The Birthday Live Archive、ストレイテナー、BRAHMAN、THE SPELLBOUND、そしてELLEGARDEN。
一番の目当てはもちろんELLEGARDENで、ただ今回は屋内フェスなので入場規制も加味しながら動かなければならないという頭脳戦(?)でもあった。ここまで来てELLEGARDENを観ることができないなんて絶対嫌だ。状況と場合によっては観るのを諦めなきゃいけないバンドも出てくるだろう。とはいえしかし……というせめぎ合い。これだからフェスという現場は苦しいし、でもこれだから楽しいのだ。
当日の私はぶっちゃけまだ数週間続いている体調の悪さを引きずったままで、昼頃には物販も終えて観たいバンドの出番までまあまあな時間があったにもかかわらず、ろくに酒も飲めず飯も寿司ぐらいしか食えないままで、ただフードコートをうろうろしていた。
でも右も左も音楽が好きな人ばかりで、もっと言えば右を見ても左を見てもELLEGARDENのTシャツやタオルを身に付けた人が必ず目に入る空間は、体調が悪いながらもなんとも居心地がよかった。
このフードコートには年末らしく、おみくじコーナーと書き納めコーナーが設置されていた。
おみくじは大吉を引けて幸先がとてもよかった。
書き納めコーナーは殆どの人が友達同士などで参加しており、ぼっち参加の自分はかなり気が引けたのだけど、しばらく周辺をうろ……うろ……してから、「どうせ今しかやるタイミングはないんだからやらなきゃ損だろ」と思って書き納めをした。
2023年のことを振り返った時に、書くことはこれしかないなと思うことを書いた。ネタに走ったりとかしなかったけど、でも後悔はしていない。
(エルレイヤーは本来2022年から始まった2年間のことを指すのだけど、まあ2023年の書き納めなのでこう書いたのも許してほしい。私は2023年に初めてエルレに会ったしね)
そして私のフェスはR-STAGEでのTHE BAWDIESから始まった。THE BAWDIES前に出演していたw.o.d.を「いい音楽を鳴らしているなあ」と眺めつつ、気持ちの温まったところに始まったTHE BAWDIESは本当に最高だった。
彼らのライブは、それこそ学生の頃に参戦していたフェスで何度も体験していた。10年ほど前に彼らの音楽で踊りまくった時のことを思い出す。そして10年経った今でも、彼らはあの頃と全く変わらないまま、フロアをブチ上げ、彼らのロックンロールを掻き鳴らす。
本当に最高の一言しかなくてびっくりするんだけど、多分私は彼らの音楽が、彼らのライブが、自分が思っているよりもけっこうかなり好きみたいだ。
「来年はどこかで必ず彼らのワンマンに行こう」そう一つの目標を立てながら、最後の最後まで踊り明かした。
その後、あまりにTHE BAWDIESのステージが良すぎたので、暴れてふらつく足取りのまま物販に向かい、THE BAWDIESにお布施した。周りに同じくTHE BAWDIESのステージ終わりに彼らのグッズを買いに向かう人たちもいて、なんだかそれがすごく良かった。わかる、THE BAWDIES良かったよな……。
それからまた、次の目当てのライブが始まるまでフードコートで時間を潰した。THE BAWDIESで元気になったからか、さっきは食べられなかったご飯とビールも腹に入れることができた。よかった。
以降はL-STAGEに移動。この後に続くストレイテナー、The Birthday Live Archive、BRAHMANを観るためだ。
もう正直このタイミングから大トリのELLEGARDENに向けての移動を(心配しすぎなほどに)考えた場所取りをしていた。できるだけ出口に近いブロックにいたね……。本当はもっと前で観たかったのだけど、まあ自分の心配とを天秤にかけたらやや仕方ない気もする。
ストレイテナーはそれこそ高校生の頃からずっと大好きなバンドだったのだけど、これまで縁なく彼らに出会う機会がなくて、この日が初めて彼らを目にする瞬間となった。
SEが鳴り、メンバーがステージに登場する。
始まった1曲目は「ROCK STEADY」。高校生のガキだった頃にずっと聴いていた、あの音楽が目の前で鳴っている!!!!その興奮で腕が自然に上がる。
やや、ボーカルのホリエさんの声の調子が悪いように感じたけれど、これまで彼らのライブに行ったことがない私には、ホリエさんの声の安定感が分からなかったので、最初はあまり心配していなかったのだけど。
2曲目は「TRAIN」。私が高校生の頃にストレイテナー のアルバムで一番好きだった「LINEAR」の収録曲だ。まさか聴けるとは夢にも思っていなくて、思わず一人で跳ねる。本当に、あの時の高揚感たらなかった。
しかし、4曲目。ホリエさんがイントロの時点から咽せ込んでしまい、歌えなくなる。
「俺たちが歌うから大丈夫だよー!!」と、ステージ前方にいる男性のお客さんから声が上がる。
「昨日も、9mmの卓郎とのセッションも1曲も歌えなくて。今日も朝から病院行って、点滴もしてもらったんだけど。どうしても飛ばしたくないステージだから、大事なライブだったから。メンバーの3人もいてくれるから、4人ならやれるって思って来ました」
そう言って、悔し涙を流すホリエさんがモニターに映し出される。
「みんなも歌ってくれるんでしょ?」
急遽セットリストを変更して爪弾かれたイントロは、これまで何度も聴いてきたあの曲だ。
「Melodic Storm」
ホリエさんの声を支えるように、会場全体がMelodic Stormを大合唱する。私も全力で歌った。
喉の不調により、ボーカリストが自分の思ったように歌を歌えないその悔しさはどれ程のものなのだろうか。ステージで彼が流した涙の裏には、それでもなんとかこのステージに間に合わせよう、ステージ上で歌える状態にしようという努力があったに違いない。
「ステージで万全の状態でパフォーマンスできない」というその悔しさはあらゆるアーティスト全てに経験してほしくはないものだけれど、でもあの日この瞬間、この会場でしか生み出せないライブが、確かにここにはあった。
その「アーティストとオーディエンス」が互いに支え、支えられていたあの瞬間の美しさや尊さは、決して嘘ではなかったと思うのだ。
「最後に、日本のロックをカッコよくしてくれた先輩の曲をやって終わります」
ホリエさんがそう言って始まったのは、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの「ダニー・ゴー」だ。
最後のこの曲の間、ホリエさんは完璧にこの曲を歌い上げていた。その執念というか、チバさんに向けた思いというか、「どうしても飛ばしたくないステージ」「大事なライブ」その言葉の意味が、ズンとより重みを増した。
本当に、素晴らしいライブだった。そして私はTHE BAWDIESの時と同じように「今度はホリエさんの万全な歌声を聴きに、今度は彼らのワンマンに行こう」と心に誓ったのだった。
そしてその後はThe Birthday Live Archive。自分と同じ世代の人は大体、ストレイテナーのままL-STAGEに残っていたんじゃないかと思う。多分。
このセクションは、過去のRADIO CRAZYでのThe Birthdayのライブアーカイブをダイジェストで流すといったものだった。
FM802のアナウンサーの方が「チバさん、大好きなお酒も煙草も辞めて、みんなの前に戻ってこようと頑張っていたと聞いています」とMCで話されていた。
「なぜか今日は」「さよなら最終兵器」「くそったれな世界」「涙がこぼれそう」「青空」……
チバさんの歌声が、祈りのように響く。
私はこの目でこの耳で、彼のステージを観ることはついぞできなかった。だからこそ、""かつて彼らの音楽が鳴ったその同じ場所""で、""かつて彼らが奏でた音楽""が鳴り響くその空間を、この目でこの耳でこの体で感じて、留めておきたかった。
RADIO CRAZY 2023は、本当にチバさんへの想いが溢れたフェスだと強く思う。ストレイテナーだけでなく、最初に観たw.o.d.の皆さんも、ミッシェルのカバーを演奏していた。
ライブアーカイブは、チバさんの「また来年!」というMCで締めくくられた。
なんだろうな、これからもこの音楽がどこかで鳴り続けますように、そう願ってやまない。来年もRADIO CRAZYのどこかでチバさんの歌声が聴こえたら、それはなんだかとても素敵なことだと思うのだ。
そしてそのままBRAHMANからのスペルバ……といきたかったのだけど、大トリのELLEGARDENに入場規制で入れない可能性があることに異常にチキってしまった私は、このままZ-STAGEに移動してしまうこととなる……。
いや、こんなの絶対BRAHMANに細美さんゲストで出てくるじゃん!!!!って自分でも分かってたんだけど、それでも自分の「エルレ入場規制」の恐怖が打ち勝ってしまった。おれは弱い。
なので、この日3度目の「今度はBRAHMAN、及びスペルバのワンマンに必ず行こう」という目標を勝手に打ち立てたのだった。
そしてここからはZ-STAGEのELLEGARDEN。とにかく少しでも前に行くために……ステージのマップを頭に入れつつ、どうにか人を掻き分けながら真ん中ブロックのステージ中央寄りに位置付けた。多分ブラフやスペルバを観ていたらこの位置まで来ることは難しかったろうと思うほどの超満員だったので、これはこれで良しとする。
そしてそのまま1時間近く待ち続け、ようやく始まったELLEGARDENのステージ。
SEの時点で、会場にハンドクラップが鳴り響く。
ELLEGARDENのステージの、この熱量。この空気感。これに私は今年初めてやっと出会うことができて、この空間に何度も何度も支えられてきたのだ。
1曲目から鳴り響いたのは「Breathing」だ。
もう、正直1曲目のこの時点で私にはステージなんて何一つ見えていなかった。大量の人に揉まれて、ライブ中まともに私の目に映っていたのは天井と、赤や緑のレーザー演出だけだった。
でも、それでよかった。自分の斜め前のお姉さんが、恐らくステージなんて何も見えない状況でも、多分きっとこの喜びに顔を覆って涙を拭っていた。もうその姿を見ただけでメチャクチャもらい泣きしてしまった。
「私はELLEGARDENのことが好きで、自分の人生の傍に彼らの音楽があって、本当によかった」
本当にその感情だけで、天井を見上げながらただただ泣いた。
多分私は、あの日見上げていた天井のことを忘れない。
そして飽きずに懲りずに何度も言うけれど、私はELLEGARDENのライブが大好きだ。
私はこれまで(それこそ2023年に自分がライブハウスに出戻るまで)、ライブハウスは私にとって「アウェイな場所」だった。ライブハウスに行っても周りの人は右も左も誰かと一緒に来ていて、そんな中でひとりぼっちでライブハウスに来ていることに、どこかで肩身の狭さを勝手に感じていた。目の前で鳴る音楽のことは大好きだけれど、それでも私にとってライブハウスはずっと「アウェイな場所」だったのだ。
でも、その「アウェイな場所」を「ホーム」に変えてくれたのが、今年やっと出会えたELLEGARDENのライブだった。彼らのライブでは、一人であることの肩身の狭さなんて、そんなことは一度も感じなくて済むんだよな。
アウェイどころか、なんなら周りはみんなELLEGARDENが好きな人たちばかりなのだ。誰一人として会場にいる人たちのことを知らなくても、ただその空間がとても心地よくて、鳴る音楽に合わせて全力で歌を歌えば、私は人生のうちのどの瞬間よりもずっと自由になれて、生きている感じがする。
多分今の私の人生にとって、彼らのライブの空間が一番居心地がいい場所なのだと思う。
そして「Supernova」「チーズケーキ・ファクトリー」と曲は続いていく。
この日のシンガロンもとてつもないものだった。もうエルレのライブではシンガロン。なんかそういうもんなんだよな。
私のこの日の体調不良は喉の不調で、正直歌うとやや咳き込むといった場面が何度か見られたのだけど、ストレイテナーではどうにかメロストを一曲分歌い切っていた喉が、なんとエルレでは全編シンガロンしても何故か保った。これは自分が一番驚いているけれど、本当に全編保った。本当に頑張ってくれてありがとう、私の喉。
「今日はブラフも一緒だからこの後ミナミ辺りで合同忘年会をするんだけど、もし街中で俺らを見かけても絶対に声は掛けないでください。怪我します(笑)」
合間のMCで場が少し和む。TOSHI-LOWさんと細美さんが飲んでいたら怖すぎて声を掛けたくても掛けられないと思う。
「今年けっこう大阪でライブやってきたけど、やり忘れた曲があるからやるわ」
その一言で始まった「Red Hot」。
あの瞬間の、血の沸くような盛り上がりが忘れられない。
「いいか、お前らが何かを始めようとした時にそれを肯定してくれるようなやつは周りにはいないし、お前らの隠れた才能を見出してくれるような親切なやつもいない。お前らが何かしようとする時に『お前ならできるよって』言ってくれるやつなんていない。でも、お前らだけは『俺なら出来る』って自分を信じとけよ。自分の味方でいられるのは自分しかいねえから」
「みんなは今年どうだった?」その問いかけに客席からは口々に声が上がる。
「最高だった?……じゃあ来年は今年越えていこうぜ。お前ら歳なんか関係ねーかんな、人生死ぬまで戦いだ!」
その叫びから始まる「ジターバグ」。
そして「Make A Wish」の前。
(この頃には私はモッシュで自分のいたブロックの3,4列目まで流れ着いていて、ライブの最後の最後にギリギリで細美さんを肉眼で収めることができた。やっぱり細美さんの姿を見て年越ししたかったから、少しでもその姿が見れて嬉しかった。)
「願い事をしよう。簡単なやつでいいよ。
……俺がお願いするのは、お前らにとって来年が、悲しい時に笑ったり、腹が立った時に笑わなくて済むように。笑いたい時に笑って、泣きたい時に泣いて、ムカついた時には怒る、そういうシンプルなことがちゃんとできる一年になりますように」
そして曲入り前に、細美さんは「こいつらの顔が見てえから照明明るくしてもらえますか」とスタッフさんに声を掛ける。
「Make A Wish」の大合唱で、細美さんがいつもオーディエンスにメインのパートを任せて、細美さん自身は下のパートを歌うのが大好きだ。
ボーカルが自分の歌うメインパートをオーディエンスに任せる、その無言の信頼感というか、「ああ、私らって信頼されてんだな」と感じるあの瞬間が好きだ。
MCも相まって、この日の「Make A Wish」はまるで「皆さん、良いお年を」と歌っているように聴こえた。
そして私の願いは「来年もまた彼らに会えますように」。
サマーパーティーの時のような後ろ向きじゃない、あの時よりもずっと前向きな「願い」だ。
「なんか、俺らを最後まで観たら遠方から来た奴らは終電に間に合わないらしいけど、でも今そんなのどうでもいいじゃん!人生って短いんだぜ。人生で""本当にどうにもならないこと""なんて、意外とそんなにないからね」
その一言から始まったのは、本編ラストの「Strawberry Margarita」。
「皆さん、良いお年をお迎えください!」
本当に幸せな時間を幸せなままに、ELLEGARDENと私たちは駆け抜けた。
そしてアンコール。最後の最後に披露されたのは「スターフィッシュ」。
『こんな星の夜は全てを投げ出したって
どうしても君に会いたいと思った』
そしてメンバー4人でいつものように深々と頭を下げ、彼らはステージを後にした。
RADIO CRAZY最終日の最後に鳴り響いたのは、「こんな星の夜」に相応しい、そんな美しい一曲だった。
このライブ後、私は本当に文字通りにヘロヘロのくたくたになってしまった。今まで長年あらゆるライブに行ってきたけど、多分その中でもダントツ一番にヘロヘロになっていた。でもそれほど彼らの音楽で暴れて、歌って、楽しんだということなら、それもそれで悪くないかな。
(そして後から調べたところ、スタッフさんがZ-STAGEに限界まで客席に人を入れられるように誘導してくれたおかげで、ELLEGARDENでは入場規制が起こらなかったらしい。そ、そんなの愛じゃん……!「じゃあブラフとスペルバ観に行けたじゃん!」というのは終わった後だから言えることである。これがチキった私の判断だったので仕方ない。この日の私はこれで良かったのだ。)
そして翌日は仕事中に見事に立ちながら瞬間的に寝てしまうレベルで疲弊しまくっていたけれど、それはまた別の話として。
本当に、このフェスで2023年のライブ納めができたことを幸せに思った。
2023年は、悲しいことやつらいこともたくさんあったけれど、それでも楽しいことや嬉しいこともたくさんあった。
2023年は、特にそんな時間をELLEGARDENと共に3度も過ごせたことが本当に大きかったと思う。
2024年。スタート早々から世間では悲しいことが起きているけれど、今年も負けないように、私はまた彼らに会えるように、前を向いて過ごしていきたいと思う。人生は死ぬまで戦いなんでね。
そしてまた2024年も、どうかあの最高の音楽が鳴り続ける幸せな空間に帰ることができますようにと願ってやまない。ありがとうFM802。ありがとうRADIO CRAZY。またみんなと、幸せな忘年会ができますように。
二つのライブと"私にとっての答え合わせ"の話
この日のことを書くかどうかを、ずっと悩んでいた。
何故ならこの日は私にとっての「本当にただただ純粋に楽しかった」という一日でしかなくて、おまけに"そこに行き着くために必要だった全く別のライブ"が存在するからだ。
なんだか毎回言っているような気がするけれど、私のライブに行った日の記事はレポでもなんでもなく、ただ私のその瞬間の気持ちをまとめただけのものだ。
でもそれでも、この先の自分のためにやっぱり言葉にしておくのは大事な気がする。
だから、これからただただ純粋に楽しかったライブの話をしようと思う。
GENERATIONS from EXILE TRIBE
GENERATIONS 10th ANNIVERSARY YEAR
GENERATIONS LIVE TOUR 2023 "THE BEST" 追加公演 FINAL
2023.12.13 at 福岡マリンメッセ
この日のライブは、12/9のDiamond Dance振りのライブだった。
その間わずか4日。我ながらバカなスケジュールを組んだと思うし、このバカスケジュールの後に見事に疲労で発熱を出してしまったのだけど、でも行ってよかったと、本当に感じる2日間だった。
私にとって12/9のDiamond Danceは、多分本当に大きな意味を持つライブになった。
あの日を境に、それまでずっと心にあった「結局、いつかは全部さよならなんだろ?」という、どうしようもない悲しみと果てしない諦観、そして恥ずかしいほどに捻くれていじけた感情は完全になりを潜めてしまった。
「今この瞬間」を久々にちゃんと感じられる日々がやっと訪れたことが、本当にシンプルに嬉しかった。この気持ちのまま、GENERATIONSにまた再び会えることが、なんだか本当に嬉しかったのだ。
実は、このように記事にまとめてはいないけれど、GENERATIONSの11/29大阪公演にもこっそり行っていた。でもあの頃の私はまだずっと悲しみと諦観といじけモードの中にいて、「悲しいもんはどれだけ頑張ったってずっと悲しいって。悲しいもんは仕方ないじゃん」と諦めていたのだ。
どれだけ行っても「いつかの別れ」は必ず訪れるし、でも何かを好きになることを諦めることもできないまま、ただ諦めていた。諦めながら「彼らのことを好きにならないことを諦める」という、あまりにややこしすぎる感情の中で、私は文字通り「彼らのことを好きにならないこと」を諦めた。
今思えばそれはそれで悪くない気はするけれど、でもせっかくの「好き」に対してあまりに後ろ向きで消極的で、それってなんだか楽しそうじゃないなと今なら思う。
そんな、私のクソダサいいじけモードを全て消し飛んでしまったのが12/9のDiamond Danceだったというわけだ。
言い方はアレかもしれないが、私はこの日のライブがあったからこそ4日後に参戦したGENERATIONSのライブで完全に「飛べた」と思ったし、全く別の二つのライブが、私の中では本当に一つの答え合わせのような時間として"繋がった"。
うーん、これを読んで喜ぶ人って多分本当に私しかいない気がする。(まあ、でもいいか。)
この日のことを何から話そうか。ライブのことを話す時はいつも悩んでしまう。とにかく一曲目の「ワンダーラスト」から本当にずっと楽しくて、たくさん踊って、声を出した。
そしてこの日は、GENERATIONSのライブで初めて双眼鏡を使った。今回のツアーは3戦目で、もう今日でファイナルだし、せっかくならちゃんとしっかりと推しのダンスを、「今この瞬間」をこの目に焼きつけておきたいと思ったのだ。
双眼鏡を置き、ペンライトを振って暴れるターンと双眼鏡を構えて推しのダンスを目に焼き付けるターン、それを交互にスイッチングしながらライブの空気にのめり込む。
推し(と呼ぶことをいよいよ諦めた)の佐野玲於くんはどうも前日のパフォーマンスで身体を痛めていたようで、しかしプロのパフォーマーである彼を異常に心配がるのもそれはそれで失礼な気がした。「頑張れよ」という謎の(?)立ち位置からこっそりエールを送りつつ、彼のダンスを目に焼き付けた。
本当に陳腐な言葉にしかならないが、この日の彼のパフォーマンスにはどこか鬼気迫る感覚を抱いた。
それはStupidで。パフォーマーショーケースで。具体的には思い出せなくなっているけれど、他にも多くの瞬間で。
それを私は「たましい」や「いのち」と形容してもいいなと本気で思ったし、そう感じたことをここに書き記しておこうと思う。それほどまでに、この日の彼は「今この瞬間」に自らを刻むようなパフォーマンスをしていたなと、私はそう感じた。
「新しい世界」で双眼鏡を覗き込んでいたとき、
「約束するよ君に 新しい世界」のフレーズで小指を立てる彼の姿を偶然捉えた。(多分、小指を立てていたと思うんだけどな。私の見間違いでなければ。)
うまく言えないけれど、あの時の彼の姿が脳裏にとても焼き付いていて、あの瞬間のことを忘れたくないなとぼんやり思った。
「おい、今だけを楽しんでけよ!?!?!?」
「GENE ja NIGHT」の時、彼はそう叫んでいた。
あぁ、答え合わせだな。
自分の探していた答えはいつもふとした場所に転がっているし、それはこうやって、自分が好きだと感じている相手から思いがけずもたらされることがある。
まあ、それは自分がそう感じたいからだけなのかもしれないけれど。
「NOW or NEVER」ではいつも夏フェスばりに暴れてしまうのだけど、この日は隣にいた友人の肩を思いっきり組んで二人でヘドバンをした。ヘドバン文化には慣れてないのに本当に楽しくて、なんかもうずっとこの時間が続けばいいのにと思った。
アンコールでは(ファンの予想通りというか公式匂わせというかなんというか)で三代目 J SOUL BROTHERSの皆さんも登場し、会場をとんでもないテンションにぶち上げていった。
「やっぱり三代目ってすげーわ……」と、花道を歩く7人を眺めながら思う。歩いているだけの人間に鳥肌が立ったことって、多分後にも先にもこの時が初めてだと思う。来年はどこかで三代目のライブにも行けたらいいなと密かに感じる瞬間だった。
そして最後のMC。
ライブビューイング中継もあり、PPVで生配信もされている公演で玲於くんは、「三代目コンプレックスがある。三代目が凄すぎて何をやっても、プチヒットを飛ばしても褒めてもらえない。何をしても満足できたことがない」と悔しさをありのままに言葉にした。
身体の痛みに耐えきれなかったようで「寝ながら話してもいいか」とメンバーに声をかけた。
恐らく上層部の嫌いな人なのであろう人の(言い方を恐れずに言えば、だいぶ悪意の篭った)モノマネをした。
なんだろうな、私は彼のその、ともすれば大人の人たちから怒られてもおかしくないような「綺麗事も建前も一切抜きで、全部本音をぶつけて話す」姿が本当に好きだった。
そしてこの時の彼の姿も、私にとっての「答え合わせ」だった。
つい4日前のDiamond Danceで、「大好きな人」の似たような姿を見ていたからだ。
なんだろうな。多分、私はこういう、綺麗事抜きの真っ直ぐな人間が好きなんだろうな。
多分私は、ステージの上で嘘をつかない人間が好きなのだと思う。ステージの上で「今この瞬間」を刻み、そしてステージに「真実」を置いてくる人間が好きなのだと思う。
12/9のDiamond Danceと12/13のザベスファイナル、二つのライブから導き出した私の答えはそこに"""在った"""。
まあ、嘘をつくつかないなんて実際のところはどうか分からないけれど、でも私がそう感じられたのが、それを信じることができたのが彼らで本当に良かったと思う。
なんだか内容がとっ散らかってしまったけれど、でも書いてよかったと今なら思う。
さあ、これを書いているのは12/29の深夜、RADIO CRAZY3日目の前夜だ。あと数時間後には新幹線に乗って、私は大阪に向かっているだろう。
そして更に、あと1日も経たぬ間に、私は私にとっての2023年最後のELLEGARDENのライブに参加している(はずだ)。
2023年は2022年から引き継いで「かつての推し」を失った痛みで悲しんでいた時間もとても長かったけれど、でもELLEGARDENや、GENERATIONSや、細美さんや玲於くんに改めて出会い直すことができて、出会い直そうと思えて、その機会を有難くも貰えることができて、本当によかったと思う。
明日のRADIO CRAZYで、私の2023年を最高の形で締め括りたいと思う。明日のライブも楽しみだ。
「今この瞬間」とか「お前はどう生きるか」とか
あれからずっと、たった二日前のことをずっと頭の中で繰り返している。夢でも奇跡でもなんでもない。あの日はただただ、私にとっての「現実」だった。
Diamond Dance 2023
2023.12.09 at 松山市総合コミュニティセンター キャメリアホール
(これはライブレポではなく、ライブに参加した人間の日記とも呼べないような内容です。一部セトリ、MC等のネタバレがございます。また、MCは個人によるニュアンスも含んでおりますので、ご了承ください。)
先日、悲しいことがあった。
私が学生の頃から好きだったロックスターが死んだ。
そうでなくとも私はこの1年間、かつての推しの芸能界引退をずっと引きずり続けていて「世の中結局最後はさよならばっかりじゃねえか、もうこんな思いなんてこりごりだ」って何度も思い続けていた。人の死と芸能界引退を横並びにするつもりはないけれど、それでも私はかつての推しの「表現」が心の底から大好きだった。それがもうこの先一生その表現が観られないということ、それっていわば「表現の死」みたいなもので、もう本当に、その現実が耐えきれなかった。
まあ、私のどうしようもなく「別れ」や「喪失」に耐性のない性格も関係しているだろうけど。
そしてその現実に、飽きもせず何度も悲しんでしまうことに対してずっと「こんなことで何度も何度も傷ついてバッカみてえ」と自分を半ば責める気持ちもあった。
けれど、それすらももう「諦めた」のは彼の訃報が飛び込んでくる数日前のことだった。
しょうがねえじゃん。もう悲しいもんはいつまで経っても悲しいよ。しょうがねえって。そう半ば諦めにも近いような形で、自分を許すことを決めた。
でも、そう諦めた数日後にあれだ。
もうなんか、全部が嫌になった。私が当たり前の顔してひょいっと帰ってくるもんだろうと勝手に思い込んでいたあの人は死んでしまった。ほーら、やっぱり全部最後はさよならなんじゃねえか。なんなら私は彼をライブで一度も目にすることがないままだったけれど、でも音楽を再生すれば何度だって会えてしまう。でもそれでもずっとずっと悲しくて、涙がこぼれるもんはこぼれてしまう。
今年、私の中にあまりにデカい爪痕を残していった ELLEGARDENとも、きっといつかこうなってしまうんだろうな。あーあ。本当にやんなっちゃうな。
そうやって、全ての出会いが必ず行き着いてしまう「さよなら」のことを考えてしまうと、もう本当にどうしようもなかった。
そんなことぼんやりを考えながら、私は松山行きの高速バスに乗った。バスの中ではずっとELLEGARDENを聴いていた。
夏に彼らと会った時は、あまりに奇跡のような、まるで夢の中にいるような感覚だったからか、数時間後には再び彼らに会えるというのに、全く実感が湧かなかった。
とまあ、ライブが始まってしまうまではこんなにウジウジと湿っぽい感じだったんだけど、ライブが始まってしまえばもうこっちのもんなんだよな。
オープニングアクトのPRAY FOR MEから既に人が頭上をバンバン転がっていく。Zepp松山熱すぎる。1組目からブチ上げていったHEY-SMITHやSiMといった、タイプの違う音楽で踊り続けるのも本当に楽しかった。あ、SiMのMAHさんが細美さんとメチャクチャ仲悪い話はすげー笑ったな。
そうして始まった3組目のBRAHMAN。私は彼らのライブを観るのが初めてで、SEが流れ始めた瞬間に客席みんなが頭上で手を合わせ始めたので「なるほど、これは三代目J SOUL BROTHERSでみんなが印を結ぶみたいなアレか……」と思いながら私も頭上で手を合わせた。
ステージに上がったTOSHI-LOWさんが、自身の着ていたTシャツを引っ張ってアピールする。よく見ると、それはThe BirthdayのTシャツだった。
ああ、"そういうこと"か。
多分、あの会場にいた人の大体はそういう理解をしたんじゃないかな。
そしてそのことにはそれ以上触れないまま、ライブはノンストップで進んでいく。
ライブの終盤、BRAHMANのステージの上に細美さんが上がった。feat.細美武士で「今夜」が歌い紡がれていく。
歌い終わった後、TOSHI-LOWさんと細美さんは抱擁を交わして、そうして細美さんはステージを降りていった。ちょうど細美さんの顔が見える位置にいたんだけど、あの時の細美さんの顔がずっと忘れられない。
なんだろうな。こういう時の気持ちって、言葉にすればするほど、言葉では尽くせないものが言葉と言葉の間からぽろぽろと零れ落ちて、どんどん陳腐になっていく感じがして、正直本当はしたくない。でも紡がなきゃ、この瞬間がどこかに行ってしまう気がして、それもすごく怖いんだよな。
この日のTOSHI-LOWさんのMCが、とてつもなく心に残っている。
チバさんの名前を伏せたまま、The Birthdayの名前を伏せたまま、TOSHI-LOWさんは「本当は、明日あのバンドが出演するはずだった」と口にした。流石にそれは予想してなかった事実で、かなり動揺をしたのだけど。
「きっと今頃前乗りしてて連絡が来ててさ。『おうトシロー、どうせ細美と飲んでいるんだろ?どこで飲んでんだ、1杯飲もうぜ』って……。また飲みたかったなぁ」
淋しそうにチバさんの話をした後、更にこう続けた。
「コロナのあったこの時代に当たり前があるなんて思うやつはバカだ。『次のライブがある』なんて思うやつはもっとバカだ。この一週間……いやそれだけじゃない、この一年間、俺たちは何度も何度も、『当たり前なんてない』ことを感じてきたろ。
俺たちにはなにも分からない。明日のことも一年後のことも。唯一分かるのは『今この瞬間』だけだ。だからライブには行ける時に絶対に行け。次なんてないんだ。『今この瞬間』を全力で生きろ」
"別の場所"での私を知っている人なら分かるだろうが、私がここではないSNSの場でずっと使っていた「今この瞬間」という言葉をTOSHI-LOWさんが使っていて、どうしようもなくハッとした。
そうだった、私、いつから「今この瞬間」って言葉を使わなくなってたんだっけ。
私はかつての推しとの別れからここずっと、「いつか必ず訪れるさよなら」ばかりを怖がって、ずっと泣いていたような気がする。
あんまりに辛くてもう何かを好きになることなんて辞めたくて、でもそれが自分には無理なことに本当に心底がっかりした。
何かを好きになることをやめられないくせに、「でもどうせいつかは全部さよならなんだろ?」って半ば悟ったような、諦めたような顔を、私はずっとしていなかったか。
いや、そうじゃねえだろ。
1年と半年前、かつての推しが引退を発表する直前のツアーの最中、急に「私はいつまであの姿を見ることができるんだろうか」という気持ちに急に襲われた。それから私は何かに駆られたように行ける現場のチケットを増やした。「今この瞬間」をこの目に焼き付けることに必死になった。
そしてその予感は、すぐしばらく後に(あまり的中してほしくなかったけど)的中してしまったのだけど。
でもあの時の私には確かに、過ぎ去った過去よりもまだ見ぬ未来よりも、""今この瞬間""が全てだったんだ。
そうだった。答えはずっと"ここ"にあったし、自分でずっと持っていたんじゃないか。ただ、自分で勝手に見失っていただけで。
そんな、私が見失っていた大事なことを思い出させてくれた(まあ、私が勝手に思い出しただけなのだけど)TOSHI-LOWさんには、本当に感謝しかない。本当に勝手な話だけれど。
そしてこのMCがあったからこそ、その後のエルレのライブで「飛べた」。この飛べたはニュアンスの話だよ。
TOSHI-LOWさんのあの言葉がなかったら、私はまた「今この瞬間」の彼らの目の前で、「未来のさよなら」に気を取られていたかもしれない。
それほどまでに、多分本当に久しぶりに、過去でも未来でもない、ただ「今この瞬間」に全てを委ねることができた。
まだサマーパーティーの一度しかエルレのライブには行ったことがないけれど、それでもエルレのライブで起こるシンガロンが私はとてつもなく好きだ。
「Space Sonic」の最中だったか、この日も細美さんは歌いながら「ほら、お前らももっと歌えよ」「もっと来いよ」と言いたげに、立てた人差し指をくいくいと動かして促してくる。その仕草に観客の歌声が更に大きさを増す。
ライブ中に歌う行為は、まあ界隈が違えばマナー違反になることがある。私自身もそういう現場に身を置くことだってあるのだけれど、だけどことエルレのライブに関しては「そういう次元の話じゃない」ような気が勝手にしている。まあ私がそう勝手に感じているだけだとしたら、なんというか申し訳ないけれど。
細美さんが「ほら、お前らももっと歌えよ」と言いたげに、そうこちらに意思を示してくれるのだ。
「同じ場所で一緒に歌う」という行為は、本当に、どう足掻いたってライブ会場でのその場所でしかできない。でもそうやってそれを求めてもらえるのはなんだか、すげー嬉しいじゃないか。
だから私も全力で歌った。
そうやって「今この瞬間」を刻みたかったのだ。
ライブっていうのはすげーよな。同じ曲でも、その時の場所その時のタイミングで、全く違う曲に聴こえてくる。そして私はその感覚がとてつもなく好きで、この日はずっとそれを感じていた気がする。
大暴れ曲!という感じの「BBQ Riot Song」でさえも、今日はどこか切なく聴こえた。
"I remember you
See you sometime on the beach"
最後のこのフレーズを歌う細美さんが、なんだか少し悲しそうに見えたのは、私がただそう見たかっただけなんだろうか。
その直後に始まる「Missing」。意図してないとは言わせないようなセットリストだ。
この日は、忘れられない瞬間があまりにも多すぎる。
"We're Missing you"
そう歌う時の細美さんの表情だったりな。
「他人(ひと)の作った曲を何度も演るのは好きじゃないんだけど、……これを俺たちのレパートリーに加えるつもりもないし、今日演るのが最後になると思う。49日まではまだその辺にいると思うから、どっかで俺の歌聴いて、『ヘタクソだな』って笑ってくれてたらいいな。………チバさん、さよなら」
そう"チバさんがいるであろう場所"を一瞥し、上を指差しながら。
その言葉から紡がれたのは、The Birthdayの「涙がこぼれそう」のギターイントロだった。
この時のことは本当に言葉にするのがあまりにも野暮すぎるので、もう話さないことにしておく。
そして「Make A Wish」直前には。
「……チバさんはさ、TOSHI-LOWのことをトシって呼ぶんだよ。……『おい細美、トシ知らねぇか。3人でこれから飲みに行こうぜ』……」
それ以上、細美さんは何も言わなかった。
細美さんの願いが何だったのかは、私には想像することしかできない。
「しんみりしてごめんね」
細美さんはそう言いながら、「Make A Wish」後にこう口を開いた。
「……どうせお前らもあるんだろ。落ち込んで、もう全部どうでもよくなって、全部捨てたくなるような日とかさ。……さっき『Make A Wish』の直前にそれになってさ。『もうどうでもいいや』って……。でもパッと顔を上げたら何人もリフトやってるガキ共の笑顔が飛び込んできたからさ(笑)、おじさんもうちょっと頑張るわって。」
この「落ち込んで、全部どうでもよくなって全部捨てたくなるような日」に私は心当たりしかなくて、赤べこのように頷いてしまった。なんでこの人は、そういうのがすぐ言葉にできるんだろうな。
この時この瞬間、ステージの上でそうなっていたように、細美さん自身が、そういう日をこれまで何度も過ごしてきたからなのだろうか。
「俺、心から尊敬できる先輩って本当にいなくてさ。
(ブンブンの)川島さん……チバさんも最近ね。
チバさんってさ、ホント正直な人なんだよ。あんな正直な人いないってくらい馬鹿正直で。嘘のひとつぐらいつけばいいのに。そう思いながら、その姿をずっと横目で見てた。
これからの人生、俺もあんな風に生きていきたいと思うんだよな。
世の中、できるだけ波風立たないように綺麗事ばっかり言うヤツらしかいねえよな。その辺の大人は嘘ばっかりつくよ。でも俺は絶対、綺麗事なんか言わずに生きてやるから。……お前らもそうだろ、『絶対嘘なんかつかねえ、そういう大人もいるんだ』ってことを、俺が証明してやるよ」
このMCから始まったアンコールの「金星」は、多分この夜にしかない聴こえ方をしていたように思う。
"最後に笑うのは正直なやつだけだ"
"ねえ この夜が終わる頃僕らも消えていく"
あの瞬間の細美さんの顔が、今でも脳裏に焼き付いている。
そして最後の曲は「Strawberry Margarita」。
サマーパーティの時もそうだったけれど、直前の曲までどれだけしんみりしてしまっても、最後はみんなで笑って帰ろうぜ!と締めくくるELLEGARDENのライブが私は大好きだ。沢山の人の多くの想いが渦巻く中、ELLEGARDENはこの日も最高の笑顔でステージを後にした。
あれからずっと、私はこの日のことを考えている。
この日のライブは、まるで「君たちはどう生きるか」ならぬ「お前はどう生きるか」と問われてるようなライブだった。
エルレにまた会えたというのに、かつての8月の時のような、「嬉しくてテンション爆上げハイパー無敵モード」になるわけでもない。ただずっと淡々と、あの日のことを考えている。
あの日はただひたすらに、「俺たちはいつか死ぬ。当たり前も次もない。人生は一度きりで、一日先も一年先のことも自分には何一つ分からない。ただ唯一分かるのは『今この瞬間』だけだ。ならお前は今この瞬間、今この場所でどう生きる?」そう問われているようだった。
でも、だとしたら。
「いつか来るであろう未来の別れ」にビビって泣いてる場合じゃねえだろ。
後にも先にもこんなライブ、今まで体験したことはない。
なんかやっと、やっと目が覚めたような気がする。
なんだろうな。もうこの1年間とちょっとの間のように、「いつかの(しかし必ず訪れる)未来」にずっと気を取られてビビって泣いて、「今この瞬間」を見失うようなことは、もう二度としたくないと思った。
とはいえ、それでもまた悲しむかもしれないけれど。
でもそれでも。
多分これが私にとっての「現実」なんだと思う。
うーん、無題
嫌だったこと、悲しいこと、ムカつくこと。前回のブログを書いてからも引き続き、相変わらずそういうのを今までのように無視できない日々が続いている。どうにかまた今までのようにご機嫌で生きられないものか。でもそいつらから無理やり目を逸らして、なんとか頑張ってヘラヘラしてるのが正解なのか?なんかそうは思わねえんだよな、を自分の中で今もずっと繰り返している。
嫌なことや悲しいこと、ムカつくことがあってもそれでも楽しく生きたいという生き方を最近よく見かける気がする。嫌なことや悲しいこと、ムカつくことがあってもそう生きたいと思うそのこころは正しい気がするし、うつくしいと思う。
でもその生き方を見つめた時、こうやって嫌なことや悲しいこと、ムカつくことから目を背けられない今の自分を目の当たりにしてあんまりにも惨めになる。私にはなんとなく、そのうつくしい生き方ができなさそうな気がする。そりゃそうだよな。怒って生きてる人間の生き方って正しくない気がするし、楽しそうでもないし、美しくもないもんな。
でもムカつくことがあるなら怒れよ、どつき回せよとその怒りを肯定してくれる(ような気持ちになれる)音楽に偶然出会った。そう歌いながら、そのバンドはご機嫌なメロディを鳴らしている。あぁ、無視できないくらいにムカつくなら私は私のために怒っていいのか。
他人は自分のためには怒ってくれない。だったら自分が嫌だったことやムカついたことに対して腹を立ててやるのだってそんなに悪いことじゃないと思うんだよな。でもそう思うのは、怒りを正当化してるだけなのかな。うーん、そうかもしれないな。
でもさっき、自分のここ最近の怒りについて「あぁそうか、これまでずっと、私は私のために怒っていたのか」とやっと気づいた。この音楽を聴くまで、そんな簡単なことにも気づけなかった。音楽って、なんかそういう力があるよな。
そうだな、きっと多分、誰かに「ムカつくことがあるなら怒ったっていいんだぜ」って、肯定してほしかったんだよな。多分きっと。そうやって無視しきれない自分の気持ちを大切にして生きてもいいんだぜって、誰かに言ってほしかったんだよな。
また私は同じことを繰り返す
今週のお題「最近飲んでいるもの」
最近、頭の中から音楽が消えていた。
そのことに気付いたのはつい数日前で、それに気づいた瞬間「あーいつものね」と勝手に一人で納得する。
生きていると嫌なこともまあそりゃある。
一週間ほど前に、職場で他人に言われた一言がずっと自分に刺さって抜けない。いつものように目一杯平気なフリ的な感じでヘラヘラしとけばよかったのかな。いや、多分違うと思う。でもだからといって「あいつぜってえぶっ飛ばす、ぜってえ死んでも許さん」と行儀の悪い自分を内側に秘めながら、でもそれを相手に直接ぶつける度胸もないまま情けない自分が胸の中で暴れたとて、結局その振り回した自分の言葉で自分が傷付くだけなのだ。あーやんなっちゃうな。本当に最低だ。
そうやって頭でいろんなことをぐるぐると考えるから頭の中から音楽が消えていくのだと思う。多分。
こんな時、好きなあのバンドマンのようにギターを鳴らして歌でも歌えたらよかったのかもしれないな。しかし生憎、大学生の頃にギターを早々に挫折した自分にはそんなことができるはずもない。
最近また短歌を詠んでいるけれど、別に私は言葉を上手に使えるわけでもない。
大学生の時に短歌の講義を取っていた。いつかの講義の後、短歌の先生からこっそり受けた歌会の勧誘を蹴ってなかったら今よりもう少し言葉も上手に使えたのだろうか。ダサいなぁ、そんなクソみたいなたらればなんて捨てちまえよ。そんなこと、今更考えたってどうしようもないのに。
だんだん全部どうでもよくなって、全部ぶっ飛ばして、全部捨てたくなる。本当は全部どうでもよくなくて、全部抱きしめて、全部大切にしたいだけなのに。
今日も音楽が鳴らなくなった頭でとりあえずコーヒーを淹れた。ギターだって挫折した、言葉だってロクに使えない、コーヒーは、そんな私が多分唯一続いている生産性のあることだと思う(いや、とはいえコーヒーだってしばらく淹れられない期間があったのだけど)(まあそれは別の話だ)。
私はコーヒーのことを勝手に「人の孤独に寄り添う飲み物」だと思っている。音楽でさえも自分を救えなくなった時に、とりあえずケトルを持って手を回せば、なんとかなる気がする。いや、仮になんともならなくたって、少なくとも手元に一杯のコーヒーが残る。
どうしようもなくなっても、一杯のコーヒーだけでも自分の手で生み出せれば、多分それは自分にとってのちょっとした希望だ。ギリギリのところで「ああまだ自分は自分のことを手放してないのだ」と、そう思えたら少しだけ安心する気がする。
別にコーヒーは私の中の何かを救ってはくれない。何も言わず、ただそこに在るだけだ。でもただそこに"在る"という事実でこちらが勝手に救われることは、わりとある。
力の入らない目で真っ黒い液体を見つめてはずるずる啜って、友人から貰ったクッキーを食べた。
しばらくそんな風に適当に過ごしていたら頭の中で音楽が鳴った。
まあ大体いつもこんなもん。大体いつも同じことを繰り返しながら生きているような気がする。生きるパターンが無駄に定まってきたから、私という人間はこういう攻略法でいいんだろう。
またそのうち頭の中から音楽が消えても、こうやってまた取り戻すんだろうから、まあ大丈夫だよ。