うーん、無題
嫌だったこと、悲しいこと、ムカつくこと。前回のブログを書いてからも引き続き、相変わらずそういうのを今までのように無視できない日々が続いている。どうにかまた今までのようにご機嫌で生きられないものか。でもそいつらから無理やり目を逸らして、なんとか頑張ってヘラヘラしてるのが正解なのか?なんかそうは思わねえんだよな、を自分の中で今もずっと繰り返している。
嫌なことや悲しいこと、ムカつくことがあってもそれでも楽しく生きたいという生き方を最近よく見かける気がする。嫌なことや悲しいこと、ムカつくことがあってもそう生きたいと思うそのこころは正しい気がするし、うつくしいと思う。
でもその生き方を見つめた時、こうやって嫌なことや悲しいこと、ムカつくことから目を背けられない今の自分を目の当たりにしてあんまりにも惨めになる。私にはなんとなく、そのうつくしい生き方ができなさそうな気がする。そりゃそうだよな。怒って生きてる人間の生き方って正しくない気がするし、楽しそうでもないし、美しくもないもんな。
でもムカつくことがあるなら怒れよ、どつき回せよとその怒りを肯定してくれる(ような気持ちになれる)音楽に偶然出会った。そう歌いながら、そのバンドはご機嫌なメロディを鳴らしている。あぁ、無視できないくらいにムカつくなら私は私のために怒っていいのか。
他人は自分のためには怒ってくれない。だったら自分が嫌だったことやムカついたことに対して腹を立ててやるのだってそんなに悪いことじゃないと思うんだよな。でもそう思うのは、怒りを正当化してるだけなのかな。うーん、そうかもしれないな。
でもさっき、自分のここ最近の怒りについて「あぁそうか、これまでずっと、私は私のために怒っていたのか」とやっと気づいた。この音楽を聴くまで、そんな簡単なことにも気づけなかった。音楽って、なんかそういう力があるよな。
そうだな、きっと多分、誰かに「ムカつくことがあるなら怒ったっていいんだぜ」って、肯定してほしかったんだよな。多分きっと。そうやって無視しきれない自分の気持ちを大切にして生きてもいいんだぜって、誰かに言ってほしかったんだよな。