鯛が「今この瞬間」について話す

魚類が自分にとって大切な「今この瞬間」を書き残す

「記憶装置」としての文章

ふと、少し前のことを思い出した。「かつての推し」を推していた時のこと。なんだか、もうしょっちゅう「かつての推し」についての文章をここで書いている気がする。以前と比べて、かつての推しの引退についての自分の心の折り合いもついてきたし、気持ちの面で前に進めるようになってきたという実感もある。でも、それでも飽きずにまたこうやって「かつての推し」についての文章を書こうとしているので、笑えるというかなんというか。まあ、これも自分にとって必要な作業なんだろう。


当時のことをより鮮明に思い出したくて、カメラロールやメモ帳アプリを漁った。こういう時、写真や言葉は記憶装置になるとしみじみ思う。もうすぐ1年が経とうとしている昔のことを、ああそういえばこうだったな、と少しずつ思い出す。

当時のことを私はあんなに大切にしていたはずなのに、自分で思っていたよりも細部のことを忘れていたり、記憶が若干脚色されていることにちょっとだけがっかりした。でも、人間の記憶なんて元々そんなもんなんだろう。過去のことを忘れたり、記憶が少しねじ曲がってしまうからこそ生きていける部分もきっとある。でも、その瞬間のことを「忘れたくない」と願って抗うことだって、愚かかもしれないけど殊更否定されるものでもないと思う。


過去の自分の書いた文章がよかった。
まるで、当時の自分の気持ちを真空パックして閉じ込めたような文章だった。でも正直このまま何もせずに、メモ帳の中で埃を被っていくような「当時の記憶」として思い出さなくてもいいかもしれない、とも少し思った。けれど、自分の外付けの「記憶装置」としてのために、こっそり公開しておこうと思う。

別に、自分に必要がなくなったら記事を消せばいいだけだ。もう本当に誰に需要があるものでもない。これは私の私による私のための「記憶装置」だ。




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最近、ずっと考えている。それは主に自分のことであり推しのことについてである。推しと出会った私と、推しという一人の個人の、過去や現在、そしてこれからも続いていく未来のこと。私が推しと出会った偶然に対して「縁」というこじつけたような歪な呼び名をつけること。そしてそれに縋ってしまう自分自身のこと。


推しが2022年の10月末をもって事務所を退社し、芸能界を引退することを発表したのは、6月10日のことだった。そのニュースを知った時に最初に出たのは「そっか」という一言だった。そっかと言いつつ、現状を飲み込めないまま呆然とし続けた。あっという間に無駄に時間が浪費された。一時間を過ぎたあたりから涙が止まらなくなった。思い出したのは、何故か中学生の時に死んだ祖父のことと、6年ほど前に死んだ犬のことだった。「大切な存在との別れほど急に訪れる」という、あの時と状況は違えど感情はそれらと非常に近いものであった。人は情報の処理が追いつかなくなると感情の処理も同じように遅れるらしい。その日は私が夕飯の担当だったのだけど、びっくりするほど何もできなかった。事情を伝えて「ごめん」と謝ると、父親は「いいよ」と許してくれた。


文春のすっぱ抜きがあった時には、3週間ほど毎日日替わりメニューで推しのすっぱ抜きにまつわるあらゆる悪夢を見続けた。そんな自分の発想力にほとほと辟易した。もうあんな思いは二度としたくないと思ったのにまた悪夢を見る日々が始まるのかな、と思ったら、今回はびっくりするほど悪夢は見なかった。代わりに起きている間が永久に続く地獄になった。ふと思考に余裕が生まれた瞬間に現実に引き戻される。ある時は食器洗いをしているだけなのに急に涙が出てきて止まらなくなった。何をしていても"引退"という言葉が脳裏にチラつく。条件反射のように涙が出てくる。そんな日々が少なくとも一週間は続いた。


引退発表をした後、しばらく経って推しがインスタライブで引退について自分の気持ちを話す機会があった。推しの活動を応援しながら、推しの活動がコロナ禍の影響をモロに受けていたことはファンとしても痛いほど感じていた。どうやらそれらが引退を決めるきっかけの一つであったらしいことが分かった。他にも本人のさまざまな言葉を聞いているうちに、悲しいかな納得してしまった。でも推しがその決断を導き出したことに対して、本当は納得なんてしたくなかった。


推しの言葉を聞いた翌日、「それなら仕方ない」と引退のことを物分かり良く飲み込めてい……るわけはなかった。当たり前だ。いつまでも往生際の悪いオタクである。推しの気持ち、理屈が頭では納得できても、心が「まだステージを降りないでくれ」と全力で暴れてぐずってしまう。こんなの癇癪を起こした子どもと同じじゃないか。だけど何を差し置いても、私が惚れたのは推しのダンスであり、ステージの姿であったのだ。その姿を手放さなければならないことは、私にとってあまりに耐えられなかった。これを人は執着や我儘と呼ぶんだろうな。これまで推しを見てきて、推しがこういう自分自身で決めた重要な決断を他人の言葉で捻じ曲げることはないことは絶対にないと分かっている。どんなに暴れても泣き叫んでも目の前の現実が覆らないことは自分が一番分かっている。これは私の私のための癇癪だ。お願い、どうか目の前からいなくならないで。


発表からおよそ一ヶ月後には、推しが推しとして最後にステージに立つドームツアーが始まった。こんなに心の底から始まってほしくないドームツアーは初めてだった。「始まらなければ終わらないから、このまま時が止まってくれればいいのに」と本当に全力で願った。でもそんなことはあるわけはないことは知っている。自分でも馬鹿馬鹿しいことは分かっている。分かっていてもなお、「終わりが始まってしまう」と思いながら夜行バスを待っていたあの時の景色と気持ちを、多分私は忘れない。


ドームツアーは、7月中の公演は全て足を運んだ。私が大好きな、推しのパフォーマンスを一秒でも長く自分自身に焼き付けておきたかった。

ドームツアーの前に開催されたアリーナツアーでは、もともと2公演しか入らない予定だったのに、急に「私はいつまで推しの踊る姿を観ることができるんだろうか」とセンチメンタルになった。結局、最終的に8公演入った。ただの偶然だが、あの時あの選択をした自分を褒めてやりたいと思った。
開演前に「お互いの推しのダンスが大好きだ」という気持ちを話し合える友達と「私たちまだまだ推し離れできないね」と笑い合ったのが遠い昔のようだ。離れたくなくても、その時はもうすぐやって来てしまう。


ドームツアー初日の翌日、アリーナツアーのライブ写真集で企画されたファンミーティングに当選した。そのキャパは50。いや嘘だろおい。
私の推しは、私が思うに……だが、SNSの使い方があまり上手い方ではない。と思う。SNSという本人の一部を切り取った媒体では、推しの言葉や思いが画面の向こう側に伝わりきらない気がする。なんとなく、発信する物事がさまざまな誤解を生んで伝わっているような気もしている。
その日私が観たもの感じたもの推しから伝わったもの、それらは"私にとっては"嘘でなかったと信じられるものだった。元から良くも悪くもあけすけな人なのである。いくら言葉を尽くしたところで伝えるのが難しいのだが、"私にとっては"そうだった。最後の挨拶の時に「こういうことを話すのは難しい、言葉を間違うと、違う伝わり方をしてしまうから」と前置きをしながら、それでも自分の言葉で目の前のファンに自分の気持ちを伝えるために言葉を紡ぐ。
会場内のBGMが終演が近づくことを知らせてもなお言葉を紡ぎ続け、マイクを手放すことはなかった。イベント中のきゃらきゃらと楽しそうに笑う顔も、メンバーやファンをいじる時の意地悪そうな顔も、真面目そうに話す顔も、さも当たり前とでも言わんようなファンへの気配りや優しさを見せる姿も、その直後に「これは俺の優しさってことで」と半分照れ隠しなのか悪戯そうに笑う顔も、会場全体の様子を見ながら、ファンとコミュニケーションを取ろうとするその姿も、全部が全部「ああ、そうか」と思った。SNSから伝わってくるものと、直接出会ってやり取りをする中で伝わるものでは、こうも違うのか。


「推し」と「ファン」という存在の間に敷かれるものは一体何か。私は「そういう形の人間関係」だと思っているのだが、それはファンの一方的な願望でしかないのだろうか。


推しは引退発表後しばらくして、プライベートアカウントを開設した。開設前に「子どもの成長を残すアルバム代わり、あと趣味のことを流したい」と語っていたから、てっきり鍵垢で身内だけで見える形にするのかなと思っていたら、まさかのオープン。てっきり芸能界を引退したらもう永久にさよならだと思っていた私にとっては、正直どういう形であれ嬉しい報告に変わりはなかったが、想像の斜め上を超えていくところも推しだなと思った。
しばらく経ってからのインスタライブでは、プライベートアカウントについて「別に、これまで人生を共有してきたファンの人との関係をゼロにする必要はないと思った」と語っていた。それ、本当に?本当に信じてもいいの?
しかし同時に「俺がいなくなったグループのこともみんな想像できちゃうんですよ」とまあ恐らくきっとそうなのであろう残酷な事実も突きつけてくる。「永遠なんてないんですよ」と語るその姿に、このグループに所属する推しも永遠ではないんだな、グループを離れたら、推しも少なからず変わっていってしまうのだろうなとぼんやり思った。もちろん人が人である中で、変わらないものもある。それでも環境の変化で人は変わる。それはまあ、少なからずそういうもんなのだと思う。多分。


否が応でも進んでいく現実、これからの未来にどう折り合いをつけていくかで今私は足掻いている。現実を受け入れる気持ちと現実に抗う癇癪の繰り返し。みっともないったらありゃしない。

私は推しのパフォーマンスが本当に好きだ。音源を聴けば脳裏にはこれまでライブで観てきた推しの姿が鮮明に蘇ってくる。

コロナによってエンタメ界が受けたダメージ、勿論コロナ禍だからこそ新たに生まれたものもあるかもしれないが、それでも結局犠牲になったあらゆるエンタメの存在が無かったことには絶対にならない。ああ、4,5年前のあのツアーの頃が一番楽しかったかもしれないな。コロナさえなければ現実はこうじゃなかったかもしれないな。そんな情けない懐古心やたらればが浮かんでくる。これでは前に進むどころの話ではない。でも、このままじゃダメだって自分でも分かってはいるんだ。


どうやったら現実と折り合いがつけられるのだろうか。こうしている今も、とある事情でドームツアーの8月の公演が3日間中止または延期となった。更に来週の公演も正直のところどうなるかは分からない。推しがグループの人間として残された時間は少しずつ、でもこうして確かに減っていく。


何がそんなに悲しいのだと自分に問うた時、ぐにゃぐにゃと考えながら行き着いた先は「縁や繋がりが途切れてしまう、或いは途切れずともしかしその形は今とは変質してしまうこと」だと気付いた時には乾いた笑いが出た。「推し」と「ファン」という存在の間に敷かれるものは「そういう形の人間関係」だと語っておきながら、その裏に存在するのは「そういうものが存在する」と信じたい私というオタクの浅ましさだということに本当は気づいている。
「個人に執着すること」と「出会いや縁を大切にして前に進む」ことを履き違えてはいけない。いやそもそもこれを「縁」と呼んで良いのだろうか?でも呼ばせてくれよと本音では思っている。


推しの引退発表から早くも二ヶ月経ったが、別に自分の心の落とし所が見つかる様子は見られない。ドームツアーが終演した時?10月末?どのタイミングで見つかるかも分からないし、もしかしたらずっと見つからないかもしれない。


とりあえず、私は今日も自分のために自分の心の置き所を探している。不毛だと分かっていたとしても、この苦しみ続ける時間は自分のために必要な時間だと思っている。目の前の現実から逃げたくないというただそのためだけに。私が私のためにちゃんと前に進めるように。



(2022/8/14 1:54)



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(これは当時よく聴いていた曲。今聴いてもやっぱりいい。)

nirvana

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  • dodo & tofubeats
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