鯛が「今この瞬間」について話す

魚類が自分にとって大切な「今この瞬間」を書き残す

私とダメな日々とティラミス・ファクトリー

ここ最近、久々にダメな日々が続いていた。
何をもってダメとするのかは私の中の基準だし、他人から見たらどう感じるかも分からない。でもなんかこう、人としてあまりにダメすぎる自分を突きつけられることが久々に頻発していた。


普段なら自分の中で一度反省すれば切り替えがパッとできるものでも、こう何度もカジュアルに自分のダメさがいらっしゃいしてくると、いくら自業自得とはいえまあ流石にへこむ。やっほー!お前はダメなやつでーす!と軽いノリで顔を出してくるので、そっか……私はわりとダメなやつだったかもしれん……みたいなモードになってくる。くそうこの野郎が。

そして、こんな時は大体音楽を聴いてもダメだ。私は普段から「今の気分に合うのはこの曲」みたいな感じで音楽を聴くことが多いのだが、今のような状態になると、そういう「今はこの曲」みたいなものがなんにも浮かばないし、何を聴いてもしっくりこなくなる。こうなってきたらもう仕方ない。そんな時は諦めて何も聴かない。これまで何度も経験したことあるパターンだ、別に一生これが続くわけじゃない。

さらにこういうパターンになると、とにかく一人になりたくなる。息をするように顔を出しているインターネットにもあんまり顔を出したくなくなる。輪をかけてバッドが酷くなる。人間の心とはあまりにも面倒くさい。



今は出勤前。仕事に行くにはまだ時間があるので、あまりにダメすぎる頭のままコーヒーを淹れる。コーヒーは好きだ。そしてコーヒーを淹れるのも好きだ。今の自分のことは好きじゃないが、コーヒーを淹れると気持ちが少し落ち着く気がする。

せっかくだからコーヒーと一緒に何かを食べよう。冷蔵庫を開ける。そこには、数日前に食べようと思い、解凍してそのままにしていた冷凍ティラミスがあった。



それは、推しが芸能界引退前の仕事で某料理サイトとのコラボで販売したものだった。私はまあまあな量をセット買いし、大切にゆっくり食べていたので、まだ手元にいくつかの在庫があった。私は雑な性格だ。冷凍食品であれば、保存の仕方さえ気を遣っていればまあまあ持つと思っている。正直のところ腹さえ壊さなければどうってことない。


推しは料理が上手(調理師免許持ち)だったので、こういった食に関する仕事はわりとあったし、彼の味覚やセンスとかを信頼していたので、オタクの欲目かもしれないが、これが届いた当時に食べたこのティラミスも、とにかくめちゃくちゃおいしかったのだ。



彼が芸能界を引退してからこのティラミスを食べるのが怖かった。食べ物は形に残らない。いつかこれも無くなってしまうのだろう、そうすれば私はいつかこのティラミスのことも忘れてしまうのかもしれないなと思うと、なかなか冷凍庫から出して解凍する気になれなかった。



でもまあ、諸々のきっかけもありその辺りも少しずつだが乗り越えられてきているのだろう。数日前に食べようと思って解凍しているのがそれを証明している気がする。


つい先ほど自分で淹れたコーヒーを飲む。うまい。
続けてティラミスも食べる。うん。


冷凍しているとはいえ、別にタイムカプセルほど長い年月が経っているわけではない。でもなんかこう、タイムカプセルみたいだった。うん。推しが引退する前に食べた時と変わらない。おいしい。


「芸能人」としての推しはもういないのだが、推しが現役時代に残した仕事は今こうしてここに残っている。私は推しの仕事が好きだった。なんだか不思議な感覚だ。


食べ終わってあぁ、と思う。
なんてことはない。なんてことはないのだが、クソみたいだったさっきまでの気持ちが、ほんの少しだけクソじゃなくなっていた。


過去に好きだったものにちょっとだけ救われた。


味覚も立派な記憶装置だ。ティラミスの味につられて記憶が蘇る。生きている人間を推しているといろいろある。推しの現役時代、当時も一筋縄ではいかなかった。正直私も大変だったよ。


でも、推しのことーー自分の好きな人のことは絶対に否定しなかった。


自分が過去に好きだったものを否定しなかった、そうして救われた今がちょっとだけある。いや、救われたというのも大袈裟か。大袈裟だけど、でもちょっとだけ事実でもある。


それからその後、私は仕事に行った。頭の中で音楽が鳴り、「今の気分はこれだな」と思うものが見つかったので、通勤中の車内で流す。正直あまりダメなのは変わらないが、でもそれがちょっとだけマシになっただけ、こういう日もあってもいいと、たまには思う。