鯛が「今この瞬間」について話す

魚類が自分にとって大切な「今この瞬間」を書き残す

私とSLAM DUNKと「今この瞬間」の話

先日、THE FIRST SLAM DUNKについてのブログを書いた。それを自分で何度も読み返しながら「ふーん、鯛ちゃんメチャクチャスラムダンクのこと好きじゃん。かわいいやつめ」とニヤニヤしているので本当にアホである。

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しかしなんというか、THE FIRST SLAM DUNKだけについて話すのではちょっと満足がいかん。なぜなら、THE FIRST SLAM DUNKのみを観ただけでは「私はスラムダンクのことを知った」とは言えなかったし、決して今のようなハマり方にはなっていなかったからだ。
なので今日は、原作のスラムダンクについて話していきたい。


前の記事でも少し触れたが、映画を観た2日後にはもう新装再編版の第1巻を買いに行っていた。THE FIRST SLAM DUNKは、漫画を読む習慣からめっきり離れていた人間に「大人の特権:漫画の大人買い」を久しぶりにさせてしまうほどの面白さや魅力に溢れた作品だったと改めて思うし、あの時あのスピード感で原作に手を出した自分のことをメチャクチャ褒めてやりたいと思っている。



私が原作を読んで思ったのは
「この漫画、スポーツ漫画なのに全然理屈っぽくなく、逆に全然トンチキでもない……」だった。


当たり前だが、スポーツにはルールがある。スポーツ漫画を読む上で、その"ルール"を理解できているか否かが読み手としても重要というか、知識として求められる部分が少なからずある気がする。そんなところがスポーツ漫画を読む上で「なんかちょっと理屈っぽいな……」と感じる場面が(あくまで私は)あるのだが、スラムダンクにはそれが一切なかったのだ。

バスケのルールをよく分かっていなくてもその面白さが伝わり、読み進めているうちにいつの間にか大まかなルールを理解できている。
分からないものが分からないままでも感覚的に「面白い」と感じられ、夢中になっている間にいつの間にか理解できている。こんな魅せ方ってあるのかよ、とかなり衝撃的だった。


さらに、スポーツ漫画をフィクション的な面白さに振り切るとどうしても能力モノっぽくなってしまいがちなのだが、(そしてそれの持つ面白さももちろん理解した上で)スラムダンクはとても真っ当に""スポーツ""をしている漫画だった。

コマ割り、試合における1秒間、一瞬一瞬の切り取り方が本当に上手く、紙面の絵は動いてないはずなのに、脳が勝手に絵と絵の間の動きを補完する。まるで絵が本当に動いているように見える。それも、井上雄彦先生の「バスケットをする人体の動き」の解像度、そしてそれを正確に表現する画力があまりにも高いからなんだろうな、と思う(事実、完全にスラムダンクに触発されて本物のBリーグの試合を観に行った時に、そこで観たものがスラムダンクで観た/読んだ動きのまんますぎて、目の前の試合にも、漫画と映画のリアルさにもビビり散らかした)。



そしてもう一つ思ったこと。
「この漫画、マジでバスケしかしとらんやん……」


いやマジで、本当にバスケしかしてないのである。
バスケをしてないシーンで言えば、三井寿編(と言えばいいのか?)のケンカシーンと、IH出場を懸けた赤点組の一夜漬け勉強会ぐらいのものだ。それ以外はマジでバスケのことしか描かれていない。
それどころか、キャラクターの詳細な過去の掘り下げも殆どない(サラッとはあるが)。そして映画で主人公である宮城リョータのバックボーンに関しては、周りからうっすら聞いていた通りマジで1mmも描写がなくて、いい意味で爆笑した。そんなことあんのかよ。

でもなんか、それってすごい必死じゃないか。「今この瞬間」のバスケに。私はスラムダンクのそんなところが好きだと思った。

スラムダンクで描かれているストーリーはたったの「4ヶ月」である。これはよく知られた話かもしれないが、スラムダンクについて何も知らなかった私にとっては、メチャクチャ新鮮に衝撃だった。

JCで31巻。6年間の連載期間で、描かれたのはたったの4ヶ月間。
あまりにも、「一瞬一瞬」の描き方が濃密なのである。



急に私の話をするが、私は「今この瞬間」をメチャクチャ愛している。
スラムダンクに出会う前、本当に必死になって5年半を追いかけた「推し」がいた。もうその人は芸能界を引退してしまったが、その人と出会った瞬間のこと、ライブでこの目に何度も焼き付けたパフォーマンス、ダンスの体の使い方や振りのクセ……そして、彼を推してきた中で得たさまざまな感情は、今でも私の中に刻み込まれている。


生きている人間を追いかけ続けたからこそ身に染みて感じたことがある。一瞬というのはひどく儚いものだ。どれだけ「一瞬」を「永遠」にしようとしても、そんなことは絶対に叶わない。永遠に続いてほしかった瞬間は続かない。だからこそ、そのたくさんの「今この瞬間」のことを、私は一つでも多く、鮮明に覚えていたいと思った。


「今この瞬間」は、「今」に対する過去と未来との断絶行為だ(と勝手に思っている)(まあそもそも自分の中だけの概念なのだが)。
「今」は過去とも未来とも切り離されることにより、独立した「今この瞬間」になる。全てをゼロにして、そうやって過去や未来と切り離さなければ見えてこないものもあるし、大切にできないものもある。と私は思っている。

話を元に戻そう。その、周りのことなんか一切関係なく、必死になって、夢中になって推しを追いかけ続けた5年半で積み重ねてきたものが、私にとっては「今この瞬間」を大切にすることだった。もはや自分の身体に染み付いた、クセみたいなもんである。


だからこそかもしれない、私はスラムダンクの「今この瞬間」を全力で描くそのパワーに惚れた。
過去も未来も置いてけぼりにして、まるで刻み込むように描写されるその一瞬一瞬が、あまりにも熱く、美しく、そして愛おしい。試合の、登場人物の、命の息づかいを感じる。彼らの、バスケットに懸ける想いに圧倒される。

目の前にあるのはただ紙の漫画であるはずなのに、まるで目の前で試合が行われているような気さえしてくる。読んでいて、こんなにも胸が高鳴るなんて。


うまく言えないが、私にはこの作品が「虚構」だとは思えなかった。私が生きている人間を追いかけ続けたあの時の感覚を、今こうしてこの漫画でも感じている。「今この瞬間」に向き合う、感じさせられるその感覚がリアルなのだ。


改めて言うが、作中で描かれる物語はたったの4ヶ月間である。でもそれは、ただ「作中で描かれた部分がそれだけ」なだけであって、彼らの人生は、いのちはその先も続いていく。


スラムダンクを読んで初めて、漫画に対して「フィクションであることは、決して生きていないことを肯定するものではないのだな」と感じた。彼らは紙の上で、今も「今この瞬間」を生きている。

スラムダンクは、湘北高校バスケットボール部の、彼らの無数の「これまで」が重なった果てにある、何物にも替えられない「今この瞬間」を描いた作品なのだと私は思う。桜木花道の「オレは今なんだよ!!」というこの台詞こそが、この漫画の全てを表していると私は勝手に思っている。



恐らくさまざまなことを感覚的に受け取りがちなのだろう、私は物事に対して「自分の肌に合うか合わないか」で判断することが多いのだが、それで言うとスラムダンクは圧倒的に「自分の肌に合う漫画」だった。
ちなみに私は先に話した推しのことも「推しのダンスが肌に合う」とたびたび表現していた。
そして先程言った通り「私が生きている人間を追いかけ続けたあの時の感覚を、今こうしてこの漫画でも感じている」。つまりはまあそういうことなのだ。



他にも話したいことはあるが話題がとっ散らかるのでこの辺で終わりにしよう。そんなこんなで、私にとってスラムダンクは世界で一番面白い漫画となったのだった。こんな歳にもなってこんな面白い作品に出会えるなんて、最高だぜ……。スラムダンク、これからもよろしく。