鯛が「今この瞬間」について話す

魚類が自分にとって大切な「今この瞬間」を書き残す

私とTHE FIRST SLAM DUNKと「縁とタイミング」の話

2023年、1月25日のことだった。


当時の自分の心情は「多分こうだったと思う」と憶測こそできるものの、正直明確には覚えていない。
その頃の私は、転職して2ヶ月と少し経ったばかりの仕事で、まあまあけっこう劣悪な労働環境に置かれ、社長からは毎日パワハラ発言を受けていた。自分のことを大切に扱えとは言わないが、しかしそれでもおよそ一緒に仕事をする相手とは思えないような言葉を毎日浴びせられていた。
せっかく長い期間計画を立てて転職し、自分の好きなことを仕事にできたんだから頑張ろう、頑張らなきゃ、と最初の頃こそ思っていたが、次第に「あぁ、ここにいたら私の心は死んでいくな」と思った。
だんだんと自分が何が好きなのか、何のために生きているのか本当にマジで分からなくなっていた。多分あの時期が人生で一番急速的にメンタルがおかしくなっていた時期だと思う。

と同時に、この時期は5年半近く推していた推しが芸能界を引退して3ヶ月ほどが経った時期でもあった。前述の通り、私は新しい仕事で推しの引退に心を引っ張られる余裕が全くなかった(そしてここで推しの引退に対しての感情整理が先延ばしになったことで、私は推しの引退に対して改めて苦しむことになるのだが、それはまた別の話である)。
それまで生きていく上で前を向くエネルギーとなっていた存在がいなくなってしまったことで、心の支柱が音楽だけになっていた。音楽だけでもあったのは救いだが、しかし、それでももうかなり限界だった。


そんな時に、ふとTHE FIRST SLAM DUNKを観に行った。確か運良く仕事が早く終わって、「スラムダンクが名作なのは知ってるからとりあえず一回は観ておくか……お、観に行ける時間の上映あるじゃん、行こ」ぐらいのメチャクチャ緩いノリだったと思う。

バスケの知識は中学生の頃にやった体育の知識程度しかなかった。知っているスラムダンクの知識といえば、辛うじて桜木花道と、「まだ慌てる時間じゃない」を元ネタとしたミーム画像(今思うと俺たちの仙道さんが!!となる)、あとなんか眼鏡を掛けてる花形って人がいるんじゃなかったっけ……?程度のもんだった。
いや確かに花形はいるがなんで花形なんだ。多分どっかで花形というキャラがスラムダンクにもいることを知って「へー、巨人の星花形満みたい」と思った記憶が妙なところで残っていた気もする。でもスポーツ漫画の花形って苗字、なんかカッコいいよね。

まあとりあえず、始まりはその程度だった。



多分映画を観た2時間後の私は、この時期で一番目がキラキラしていた気がする。ツイッターに興奮気味で「スラムダンクおもしれえ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」みたいなことを書いた気がする。

なんというか、THE FIRST SLAM DUNKは私にとってものすごく「エモーショナル」な映画だった。
スラムダンクが、こんなにもスポーツを通して情緒的に殴りかかってくる作品だったとは、正直思いもよらなかった。多分国語辞典で「エモーショナル」を引いたら「[名]アニメーション映画『THE FIRST SLAM DUNK』の意。」って書いてあると思ったし、正直今でもそう思ってる。エモーショナルは名詞じゃなくて形容動詞だろうがというところは目を瞑ってほしい。



「ここまでくれば気持ちの勝負───どれだけ確たる自分を持っていられるか、どこまで自分を信じてプレイできるかだ」


山王工業高校、堂本監督のこの言葉がひどく心に残っていた。バスケットボール、ただそれ一つを通して、まるで彼らが「自分とは」「己とは何なのか」という己の本質に、ギリギリと迫っていくように私には見えた。あまりにその姿がソリッドで、ただ観ているだけなのに、まるで剣山の上に立っているような気持ちになる。緊張感で肩がこわばる。いい意味で心がヒリついた。


「ドリブルこそがチビの生きる道なんだよ」
己とは、確固たる自分とは何なのか。本作の主人公である宮城リョータが、あの舞台に何を見出したのか。
それまで作中で描かれてきた彼の過去を、"現在の彼"が、自身の持つ「ドリブル」という生きる道で追い抜いた。彼の姿は、私にはなんだかそんな風に見えた。


仕事に揉まれ、完全に自分を見失っていた私にとって、バスケットボールを通して己と向き合う彼らのその姿が、一体どんな風に映ったか。



正直のところ、観終わった後に生まれた後悔が一つだけある。

「この作品に小学生の頃に出会っていれば」と本気で思った。
普段はこんな「たられば」みたいなことを言うのも思うのも本当は好きではないのだが、多分この人生後にも先にも、この「たられば」だけはずっと思っていくと感じた。
当時、この作品に影響を受けてバスケットボールを始めた人は多くいるだろう。それがあまりにも、本当に羨ましく感じた。私も人生のもっと早いタイミングでスラムダンクと出会いたかった。仮に自分のこれまでの人生がリセットされたとしても、学生の頃にバスケットボールがしたかったと強く思った。


しかし何度そう思っても、私とスラムダンクの縁は「今、この瞬間」だったのだ。学生時代にスラムダンクと出会うことはできなかったが、今、この人生のこのタイミングでスラムダンクと出会うことができた。ただそれだけで、もう十分すぎるほどお釣りが来る。


「人生は縁とタイミング」は私がよく口にする言葉で、今回もまさに「人生は縁とタイミングだなぁ」と感じた。THE FIRST SLAM DUNKに出会った時、希望を持って入った転職先はあの有様で、推しも芸能界を引退していた。人生は縁とタイミング。なんだかうまくできているなあと思う。
こうして出会ったスラムダンクは、今私の心の真ん中にどっかりと座り込んでいる。2023年1月25日、あそこから私の中で何かが変わったのだ。あの時、仕事終わりにふとTHE FIRST SLAM DUNKを観に行こうと思って、本当によかった。


そしてこの2日後には原作の新装再編版第1巻を買い始めてしまうのだが、それはまた今度話をしよう。