鯛が「今この瞬間」について話す

魚類が自分にとって大切な「今この瞬間」を書き残す

「かつての好き」の終着点、そして「その先」に繋がった夜の話

今日のブログは、まさにタイトルそのままの通りの話だ。




GENERATIONS 10th ANNIVERSARY YEAR GENERATIONS LIVE TOUR 2023 "THE BEST"




5/18の本公演最終日に行ってきた。




もともとこのツアーに行こうと思ったきっかけは、昨年開催されたGENERATIONS LIVE TOUR 2022
"WONDERSQUARE" 11/21 福岡公演のライブビューイングに足を運んだからだった。


当時、例の如く推しの引退の傷が癒えているわけもなかった私にとって、この時のライブビューイングが、推しの引退ぶりに足を運ぶLDHの現場だった。チケットも当日券をなんとかギリギリ押さえたぐらいのレベルで、その時はもう何を観ても神経過敏みたいな状態だった。そんな感じだったので「雑念でライブが楽しめんかったらどうしよ……」などとやや不安を感じながら座席に着いた記憶がある。しかしそれは全くの杞憂だった。


普通にメチャクチャ、目の前のライブを楽しんだ。
彼らのカバーしたEXILEの「Together」で、かつての推しを推していた頃にできたこの曲との思い出だとか、そういうものがフラッシュバックして大号泣したり。
そして彼らの曲のジャンルの幅広さに舌を巻き、「ジェネ、めちゃくちゃいいじゃん!!」となった。
そして彼らにとっても、そして彼らのファンの方にとっても大切な「デビュー10周年記念日」のライブを有り難くも目撃させてもらったことに、素直に泣いた。



ジェネ、めちゃくちゃいいじゃん。




そして、その直後に‪GENERATIONS‬のFCに入会した。



確か、今回のツアーが発表されたのはこの公演のもう少し後だったっけ。


発表されてすぐ、昔から‪GENERATIONS‬を推していた友人と「アリーナツアー、一緒に行こう」という話になった。この友人とは以前も一度一緒に‪GENERATIONS‬の現場に入ったことはあったが、今回はまたその時は違う心持ちで「‪GENERATIONS‬を観たい」と思っていたから、再び彼らのライブに彼女と一緒に入れることが、まず素直に嬉しかった。


チケットは無事当選。自名義、よく頑張った。
そして、公演の数日前に届く座席のメール。
おおうマジか。どうやらアリーナらしい。でも番号的に埋もれかもだからあんまり期待しないでいこう、とその時は思った。


しかし、私が入る前日のライブにも参戦していた友人から「明日の座席がやばすぎる」旨の連絡が入った。カ〜〜まじか。自名義火噴いた。


実際に座席に着くと、まじめに座席がやばかった。埋もれかと思っていた席は埋もれどころか、センターステージのほぼ中央寄り。ステージは目と鼻の先にある。





なんと申せばいいか、ライブの感想を書こうと思っても、本当にぐちゃぐちゃでバラバラとした、感想にすらならない感情の断片しか話せない。こんなの、レポでもなんでもない。



なんというかこう、引くほどペラい言葉にしかならないのだが、とにかく本当にずっと楽しかったのだ。
多分、ここ最近で一番暴れて、大声を出して、友達から借りたペンライトを振りまくった。ライブの後半戦なんて、ほぼほぼ一人夏フェス状態だ。汗ビショビショすぎ。アンコール前の暗転中に、勇気を出して「玲於ーーーー!!!!!」と叫んだぐらいには、どうしようもなく楽しかった。本当に何も考えずに、音楽とダンスを肴にして、全力で""楽しい""に身を任せていた。
これを打っている今の方がちょっと涙腺にくるぐらいには、多分私はこういう瞬間を、ずっとずっと、待っていたのだと思う。



少し昔に話を遡ると、まだかつての推しが引退を発表する前、「EXILE TRIBE LIVE TOUR 2021
“RISING SUN TO THE WORLD”」の3/27 大阪公演(この日は自分の誕生日でもあった)、この日の段階で既に‪GENERATIONS‬に、そして佐野玲於くんに気付きを得かけていたのだが、敢えてそれ以上触れないようにしていた。それは、当時まだ全力で「かつての推し」を推していた自分のキャパシティの関係もあった。


でも、あの時あの公演で披露された「DREAMERS」の最後「君の夢が叶うように」というフレーズで、まるで祈るように、願いを込めるように顔の前で指を組み、瞳を閉じる彼の姿が今でも脳裏から離れないほど、ずっと鮮烈に記憶に残っていた。
根拠も何もないが、「あぁ、この子はもしかすると"それ"を本気で思っているのかもしれない」とその時思った。



話を今に戻そう。
アンコール後のパフォーマーMCが、本当に運良く玲於くんだった。しかも、自分たちの座席から彼の姿がよく見える席で。ああ、いいタイミングで、いい座席に入れたなと思った。
彼の姿に目を、そして言葉に耳を傾ける。




「目の前の人に対して、一生僕のダンスを忘れてほしくない」



彼のこの言葉を聴いた瞬間に、「こんなことがあっていいのか」と思った。



私はここ半年以上もの間、何度も何度も「推しのダンスを忘れたくない」とばかみたいに泣き続けていた。でも私は人間だから、コンピュータのような正確な記憶として、その時その瞬間のことを覚えていられるわけはない。どんなに忘れたくないと足掻いてもいつかは推しのダンスを忘れてしまうかもしれない。その事実が、どうしようもなく悲しく、辛かった。


でも目の前にいる彼は、そんな私の目の前で「一生僕のダンスを忘れてほしくない」と言ったのだ。



「推しのダンスを忘れたくない」と泣き続けた人間の目の前で。



オタクというものは自分勝手なもので、いつだって彼ら彼女らの与り知らぬところで、勝手に一人で救われる。
今回の私も、例に漏れずそのうちの一人だ。



私があの時「推しのダンスを忘れたくない」と泣きながら願ったように、ステージの上の彼も「自分のダンスを忘れてほしくない」と思っている。


ステージの上の彼が「自分のダンスを一生忘れてほしくない」と思っているのなら、それを観ている私が目の前のダンスに対して「一生忘れたくない」と思うことは、決して間違いではないのだと、そう思わせてくれた。


これは、すごく一方的な受け取り方かもしれない。
でも、彼のその一言は、自分にとっての救いだった。


まるで、これまでの全てが「ここ」に繋がっていたように感じられた。
でも、本当はそんなわけはないのだ。その全てがただの偶然であると分かっている。
でも、このタイミングでこの言葉を食らわせられたこと、それは自分にとってのどうしようもないほどの「アンサー」だった。



「今日で踊れなくなってもいいと思うほど全力で出し切りました」「今日で本公演最後でしたが、一番盛り上がってたと思います」
そう嬉しそうに言葉にする彼の姿に、そんな公演に入れてよかったな、と心底思った。



そして極めつけ。
「一生着いていくよー!」と叫んだ男性ファンの言葉に「墓場まで着いてこい」と玲於くんが答えた瞬間。




あーあ、分かったよ!もう着いていくよ!
降参だ。もう分かったよ。あーあ。




「私はまた懲りずに同じ過ちを繰り返すのかなあ」などとも少し思いながら、半ば諦観やがっかりにも近い、でも幸せな「また一つ好きが増えてしまった」という思いが自分の心に生まれた。


生きてる人間の「好き」を増やすの、またあんな悲しい思いを繰り返すのはもう二度と嫌だったから、本当はこれ以上したくなかったのに。


あーあ。


でも、それと同じぐらい「墓場まで着いてこいって、玲於くんがそう言うなら、またその『ステージの上の景色』をもう一度信じてみてもいいかな」と思ったのだ。



この先、その選択をしたことでまた再び傷つくことがあっても。



またあんな風に傷つくかもしれないのに。本当に馬鹿みたいだよな。
でも多分私は馬鹿だから、こうやって懲りずにまた人を好きになってしまうのだろう。





奇しくも、彼の「僕のダンスを一生忘れてほしくない」という言葉は、私の「かつての好き」の終着点になった。


そして同時に、「その先」に繋がる言葉となった。



まるで廃線になったレールのそのすぐ先に、新たなレールが敷かれるように。





「かつての好き」は、形を変えてその先に進んでいく。





こんな、「ただの偶然」が幾つも重なったような、それを人は「奇跡」と呼ぶのかもしれない夜は、私にとっては、多分この夜以外にはない気がした。



根拠なんて一つもない。でも、そんな自分の直感を信じてみようと思った。