私と夜とコーヒーとCDの話(CDの話が8割)
6連勤が終わった。別にだからといって何があるわけでもないのだが、やはり長めの連勤明けの休みは嬉しい。そんなわけで、何故か一番疲れているはずの連勤終わりの夜に一番アクティブに夜を満喫している。
コーヒーを淹れた。それも2杯も。別にカフェインを摂ってもぐっすり眠れる体なので何杯飲もうが関係ないのだが、おやつに食べた玉川屋のバターどら焼きが美味しすぎてうっかりおかわりコーヒーをしてしまった。
そして敢えてCDで音楽を聴いている。この大サブスクリプション時代にCDを手にするということは、好きなアーティストのお布施だったりグッズとしての所有という側面が大きんだろうなぁ(まあ、私もそうだし)と思いながら、CDプレーヤーにディスクを挿入し、少し控えめにした音量で音楽をぼんやりと聴いている。
いま、海の向こうの若者たちの間では、サブスクリプションから時代がまた半周し、LPやCD回帰の動きが強くなってきているらしい。時代はこうやって何度も繰り返すのだろうなぁと思いながら、サブスクのその手軽さゆえに物質としての価値が下がってしまったCDに「音楽を所有する」という価値を改めて見出した海の向こうの若者たちはすてきだなぁ、と思ったりしている。
CD……もといアルバムをデータとしてではなく、そういう「作品」としてCDプレーヤーに挿入して聴く時、端末に取り込んだデータやサブスクリプションで聴く時とは違う手触りがあるような気がするのは、私の思い込みみたいなもんなのだろうか。
でも、シャッフル再生ができるわけでもないCDで、アーティストが考えて決めた曲順で一曲一曲聴くことや、曲と曲の合間の無音の数秒間へのこだわりとか……なんかそういう、ともすれば面倒くさいと言われかねない(まあ事実そう感じる人もいるのだろう)ひとつひとつを、「ひとつの作品」として、余すところなく全てを楽しめるのがCDな気もする。
今流しているアルバムを初めて聴いた時のことは、今でも鮮明に覚えている。発売日にCD屋に駆け込んで、年甲斐もなくワクワクしながら購入した。CDケースを覆った透明フィルムをぴりぴりと丁寧に破り、スピーカーの前でどきどきしながら、初めて触れるその音楽と一対一で向き合った。
そういう「このCDで聴いた思い出」みたいなものは、サブスクリプションでは存在しないかもしれないな。あくまで私は。
(追記:ごめん↑の発言嘘ついた。サブスクで聴いた中だと、tofubeatsの「REFLECTION」とthe HIATUSの「Our Secret Spot」だけはめちゃくちゃアルバムとしての思い出ありまくりでした。今度CD買います。)
そんな感じで文章を打ちながら、私は「このCDで聴いた思い出」を新しくアルバムに刻み込む。
思えば、私がもっとずっとガキの頃は、これが当たり前だったんだよな。
何がいいとか悪いではなく、形の無いものが持つスピード感や手軽さがスタンダードになった価値観の中で、物質の持つ面倒くささと面倒くさいからこそのいとおしさとか、そういうのに改めて気づけることも豊かさの一つだよなぁ、みたいなところでふんわりと話のオチとする。