自分の中にあるものを思い出す話
時々、「自分には何もない」という気持ちに漠然と襲われることがある。別に、実際本当に何も持っていないわけではないのだ。ただふとしたタイミングで、他人にあって自分にはないもの、自分の「足りない」部分にばかり目が行って、自分が持っているはずのもの、自分の足下にあるはずのものを見失ってしまう。
前兆は数日前からあったのだが、昨日の夜から本格的にまさにそういう状態だった。
ので、今日一日は休日を全部自分のケアに徹底することにした。
まずはまともに動けるようになるまで、気のすむまで寝た。起き上がったのは15時を過ぎていたかどうだったかぐらいの時間だったが、別にそれで構わなかった。
そのあとはひたすら手と体を動かした。余計なことを考えたところで何も始まらないから、まずは余計なことを考える隙を減らしていった。
最初にやったのは、電動コーヒーミルの清掃だ。
いつもより丁寧に本体を拭き、パーツを分解し、爪楊枝とハケを使って内部の細かい微粉を取り除いていく。
ちまちまとした作業を行いながら、ふと過去のことを思い出す。前の前の児童福祉の仕事で、何年も顔を合わせていた子どもたちのこと。名前を覚えている子覚えていない子、顔を覚えている子いない子はそれぞれいるが、それでも彼らは元気にしているだろうか、できれば少しでも楽しいことが多い日々をそれぞれが過ごしてくれていたらいいな、とぼんやり考える。
そういう過去の断片を思い出していく中で、「自分の手の中にあるもの」をひとつひとつ思い出していく。ほら、別に「自分には何もない」わけじゃない。少なくとも、彼らと過ごしたあの日々があったからこそ、今の自分がここに立てていると、私はそう本気で思っている。多分あの日々がなければ、今私はこの場所にはいない気がする。なんとなく。
そのあともひたすら手を動かした。
今度は綺麗になった電動ミルを使って豆を挽き、コーヒーを淹れた。
最初こそペーパードリップで淹れていたが、もうここ数年はずっとネルドリップ派だ。
コーヒー豆は、今日からしばらくは自分で焙煎した豆を使う。まだ味見をしていないから、飲むまで味が分からないのでドキドキする。
一番最初に自分で焙煎した豆は、コーヒーではなくただの「コーヒー色のお湯」だった。それから焙煎の回数を重ねていくうちに、だんだんと「コーヒーっぽい飲み物」の味に近づきつつある。そして今回はさらに今までで一番「コーヒーっぽい」味がして、少しほっとした。今回は、苦味の中に初めて「甘み」が感じられるような気がした。
そうした「これまでの体験」と「今回の体験」を通して、また小さな「自分の手の中にあるもの」を思い出していく。
そして夜。
19時から始まった音楽番組を眺めていたら、合間でふとWOWOWの CMが流れた。ELLEGARDENのサマーパーティーの特番CMだった。
そのCM映像で使われていたZOZOマリンスタジアムの公演は私が入った公演ではないのに、観た瞬間にぶわと肌が粟立った。CM楽曲として使われていた「Breathing」に思わず「うわ」と声が漏れる。
そうだ、私はあの場所に(厳密には私が行ったのは大阪公演だけれど)自分で行くという選択をして、エントリーして、当選して、自分で足を運んだのだ。彼らの立っている場所。そうだった、あれが、私が行くことを選んだ場所だ。
そして一日の終わりに、少しだけランニングをした。今日はワイヤレスイヤホンでELLEGARDENの「Breathing」を聴きながら走った。
この曲は、「この先に何があるか分からなくても諦めず呼吸をし続けろ」と言う。
「元々持っていなかったものを捨てるのは悪くないぜ」と言う。
「Don't you worry」
心配しないでと、その言葉が強く背中を支える。
音楽と、自分の呼吸の音だけが聴こえた。
一歩一歩足を前に進めながら、まるで「自分が今ここにいる」ことを確かめるように走った。
「元々持っていなかったものを捨てるのは悪くないぜ」
あぁ、そうかもしれないな。
走り終わった後、それまで自分の中にもにゃもにゃと蔓延っていた「自分には何もない」という気持ちが、随分と薄くなっていた。
自分には何もないわけじゃない。
それを自分のやり方で思い出せただけで、今日は100点だ。