鯛が「今この瞬間」について話す

魚類が自分にとって大切な「今この瞬間」を書き残す

夏が終わった話


夏が終わった。まだ暑い日は続くじゃねえかというが、そういう意味ではない。「私の夏」が、8/31に終わった。



8/12のあの日、約15年の時を経てELLEGARDENにようやく会えたこと。
冬からずっと一緒に走り続けたTHE FIRST SLAM DUNKが、8/31に終映したこと。



ただそれだけだが、これまでの時間を含めた「ただそれだけ」が、私の中でどうしようもなく輝く、かけがえのない時間だった。



8/31の夜は、ELLEGARDENのサマーパーティに行く夢を見た。そのまま目を覚ますと9/1だった。目が覚めてあー夢だったか、とぼんやり思った。どれだけ今年の夏に去ってほしくなかったのか。夢は深層心理をよく表すもんだ。



その日はおもしろいほどに仕事を含む生活のリズムがズレまくった。まだあまり夏が終わったことに体が慣れていないらしく、モロに影響を受けてて笑った。




翌日、9/2の朝は、呆然としながらコーヒーを淹れた。コーヒーをずるずる啜りながら、やっと「ああそうか、私の夏が終わったのだ」という事実が現実に追いついてきて、少しだけ泣いた。




その日のツイートを読み返すと、




「朝起きてもちゃんと、夏が終わったことがさみしくて涙が出て、でもそれがうれしい」


そんなことを書いていた。





さみしいと感じられることが嬉しい。
人間の、入れ子状になった感情の層は複雑だなと思う。複雑だけど、でも私にとってはそれが全部だ。






季節が終わることがさみしいと感じられて、その上泣く経験なんて今までなかったので、こんな歳でそれを経験できた私は幸せ者だなあと思う。



自分で言うのもアレだが、終わるのがさみしくて泣くほどの季節を過ごせたことは、多分けっこう、人生にとってのすてきな財産だと思う。
学生時代の夏休みが終わった時だって、こんなに悲しかった記憶はない。




この夏は、嬉しすぎて泣く経験をたくさんした。

特に去年は悲しくて、さみしくて泣く経験ばかりしていたし、そのさみしさに対して喜びを感じられることも、特にはなかった。

あの時はただたださみしくて、悲しかったもんな。




嬉しすぎて泣くという経験ができたのは、本当にすごいことだと思うな。シンプルに。
私はこの人生であとどれだけ、そんな泣き方ができるのだろう。




夏は終わった。終わったことはさみしいが、でも不思議と、あの夏を失った感覚はない。
終わったけど失ってない。あの夏は今でも、多分これからもきっと、私の中にある。


Perfect Summer

Perfect Summer