鯛が「今この瞬間」について話す

魚類が自分にとって大切な「今この瞬間」を書き残す

音楽に救われた夜の話

たまに、感情のコントロールがどうにもこうにも効かなくなる時がある。
まあ大概、そういうときは処方されてる薬をうっかり飲み忘れた日が続いてるとか、そういうダサすぎる初歩的なミスが原因だったりする。


お医者さんで薬を処方してもらって感情のコントロールができるようになる前、感情を乗りこなすのではなくて感情に振り回されている、とにかく本当にダメな感じになることが多かった。暴れた牛の上にしがみついてるどころか、もうほぼ振り落とされる手前ですみたいな感じ。


感情のコントロールが効かなくなった時、もうとにかく全速力で山の奥にでも篭ってしまいたい気持ちを抱えながら、逃げ込むようにイヤホンで耳に蓋をした。本当にダメになってしまった時の最後の砦、駆け込み寺のように飛び込む先。本当にヤバい時に聴く頓服。それがsyrup16gだった。



高校生の頃は、夜中に泣きながら彼らの音楽を聴いて、疲れてそのまま寝てしまう夜が何度もあった。逆に薬を飲み始めて感情がメチャクチャ落ち着いてから、彼らの音楽に逃げ込むことが相対的に減っていった。



でも今、本当に久々にあの時と同じ気持ちで、彼らの音楽で耳に蓋をしている。
別に何があったわけじゃない。ただ薬を飲み忘れた日が数日続いて、感情に振り回されているだけだ。








syrup16g Tour 20th Anniversary “Live Hell-See”



イヤホンから流れる、ギターボーカルである五十嵐隆氏の声を聴きながら、今年の7/6に行っていた、ブログにうっかりまとめそびれていたライブのことを思い出す。


ツアータイトルそのままの通り、そのライブは彼らの「HELL-SEE」というアルバムのリリース20周年記念のライブハウスツアーだった。
あの日は、2018年に地元のライブハウスに来てくれた時ぶりに、彼らのライブに足を運んだんだっけ。コロナ禍を挟んで、およそ5年ぶりの再会だった。



ツアーのセットリストは、アルバムの曲順のまま。
なのに、なんであんなにアルバム音源とは別物の音楽に聴こえたんだろう。


彼らの音楽を知っている人なら分かると思うが、彼らの音楽は、用いるワードの暗さにキャッチーな言葉遊びと音づかいを纏いながら、そのまんま、メチャクチャ暗いのだ。



なのにあの日の「HELL-SEE」は、同じ選曲、同じ曲順、何もかもがアルバムと同じなのに、とんでもなく前向きであたたかく、地に足の着いた、力強い音楽に聴こえたのだ。これまで何度も彼らのライブに足を運んだことはあるが、そんな風に感じたのは、後にも先にもこの日が初めてだった。


それは曲を紡ぎ出す彼らが、もうしっかりと「前」を向いて今を生きるバンドに「為った」という、その証左なのだと、私は思う。
多分もう、かつてのような刹那的な破滅思考で、文字通りステージ上で痛々しいほどに"めちゃくちゃ"になりながら音楽を奏でる彼ら……もとい五十嵐氏はいないのだろう。
……いや、いないというか、それらを全部ひっくるめた上で、バンドとしての彼らが「その先」に進んだというか。



なんかそれって、たぶん本当の「強さ」な気もするんだよな。




2022年11月にリリースされた彼らの新譜「Les Misé blue」も、生きている中で生まれるどうしようもない悲しさとかどう足掻いても拭い去れない絶望の中に、それでも確かに「ひとの中で生きていくことの喜び」や「誰かとともに生きていく希望」が存在しているような気がして、なんだかそれを彼らがこうして音楽にするということが、どうしようもなく救いのように感じられるのだ。




20年前に発表されたアルバムと、全く同じセットリストのアルバムリリース記念ツアー。そのセミファイナル公演の、しかもその終盤で、ドラマーの中畑氏がツアーに対して「演るほどどんどん良くなっていってる」と話していたのが、とても印象的だった。
本当に、こんな言葉でしか形容できないことが本当に悔しいけど、本当にあまりにその通りで、どうしようもなく良かったんだよな。



「ライブは生もの」とは、本当によく言ったものだ。何度アルバム音源のHELL-SEEを擦るように聴いたって、「あの夜だけに存在した、あの質感のHELL-SEE」では、一切ないのだ。「あの夜のHELL-SEE」は、ライブに足を運んだものの、記憶とこころの中にしかない。




「もうヘロヘロです」と言いながら本当に笑っちゃいそうなくらいヘロヘロそうで、でもそれと同じぐらい、本当に嬉しそうな顔で楽しそうにギターを奏で歌う、五十嵐氏の姿。


「月になって」と「パレード」を歌うその姿があまりに美しくて、網膜に今でも焼き付いている。




そしてダブルアンコのラスト曲を演奏し終わり、捌ける直前の「ばいばいまたね」という五十嵐氏のその一言が、いつか彼らと再び会う時までのおまじないのようだと、勝手にそう感じた。




こうやってあの夜のことを思い出しながらこの文章を書いていたら、「まあ、syrup16gもこう言ってるし、まだ投げ出すには早いっしょ」と、少しだけ気持ちが落ち着いてきた。




「救済は無理か 音楽ですら
 ロックンロールの成分は自己愛かい」



そう彼らは歌うけど、多分こういう夜のことを「音楽に救われた夜」って言ってもいいと、私は思うんだよな。それが自己愛だとしてもさ。


HELL-SEE

HELL-SEE